「『みんなが安心して幸せに暮らせる社会』。一見もっともらしく聞こえますが、実はこれ、ビジョンではないんです」
そう語る小谷教授の口調に、鋭さが宿る。
「当たり前のスローガンでは人は動きません。ビジョンには、人の心を引きつける"尖った独自性"が必要なんです」
AIが最適解を示す時代に求められるのは、与えられた問いを解く力ではなく、まだ見ぬ課題を見抜き、自分の言葉で未来を描く力だ。実験経済学、環境経済学、そしてフューチャー・デザイン(FD)※。これらの領域を横断し、国際的な成果を挙げる小谷教授が今、探究しているのは、「ビジョンを持つと、人の行動はどう変わるのか」という根源的な問いである。
「ビジネスでは常に新しいビジョンが掲げられますが、日本の行政や教育の現場では、日々のタスクに追われ、場当たり的な意思決定が続きがちです。その構造を変えるために、FDが必要なんです」
通常、「将来のために」と考えても、目先の予算やしがらみに思考を引き戻されてしまう。しかし、未来の住人である「仮想将来世代」になりきり、未来から現在を振り返れば、こうした制約は驚くほど薄れていく。この"思考のジャンプ"を経て、独自のビジョンを描き、それを現在の意思決定に組み込む。小谷教授は、このFDの手法に行動原理を検証する「実験経済学」を掛け合わせ、目に見えない"ビジョンの力"をデータとして可視化しようとしている。
※フューチャー・デザイン(FD):「仮想将来世代」の視点を取り入れ、持続可能な社会を設計する手法。提唱者である西條 辰義名誉教授が本学で築いた研究基盤を小谷教授が受け継ぎ、現在は高知から世界へ発信している。
未来を描くことは、具体的に人の行動をどう変えるのか。それを鮮やかに示したのが、バングラデシュ農村部・300世帯を対象とした大規模なフィールド実験だ。食生活の改善は健康や環境保全に直結するが、知識があっても習慣化は難しい。そこで小谷教授の研究チームは、世帯を「何もしない」「現在の視点のみで議論」「将来の視点で議論(FD)」の3群に分け、食行動の変化を3か月間追跡した。
特筆すべきはFD群の変化だ。20~30年後の子や孫の視点に立ち、未来に残したい食生活のビジョンを家族で描いてもらったところ、「有機野菜を取り入れる」「甘い飲料を減らす」といった自発的な行動変容が次々と起きたのだ。その結果、FD群の有機野菜の購入量は、現在の視点で議論した群の約2倍に達した。さらに、その効果は一時的ではなく調査期間を通じて持続した。
「補助金や規制といった外圧ではなく、『未来に責任を持ちたい』という内発的な想いが行動を変えたのです」
20年後の世代に対し、「なぜその選択をしたのか」を胸を張って答えられるか。この"将来世代への説明責任"を意識し、ビジョンを言語化することが持続的な変革を生む。この成果は農業経済分野のトップジャーナル『Food Policy』に掲載され、FDが理想論ではなく、人間の行動を根本から変える仕組みであることを世界に証明した。
こうした研究は今、高知県の教育現場にも広がっている。県教育委員会の教員研修「志し塾」を皮切りに、中高生に向けた「FDワークショップ」が展開されているのだ。
その冒頭、小谷教授は生徒たちにこう問いかける。「あなたにはビジョンがありますか」。そして、資本主義社会の現実を率直に伝える。「AIや他者にもできる仕事だけでは、価格競争に巻き込まれる。『自分にしかできないこと』で尖らなければ、給料は上がりにくい」と。大谷翔平やイーロン・マスクなどの名を挙げつつ、「では、あなたはどのレイヤーで尖り始めたいのか?」と迫るのだ。
もちろん、すぐに答えが出なくてもいい。「今はまだビジョンがない」という現在地を知り、方向性を考え始めることに意味がある。そう、FDとは人間が「自分は何を望むのか」を取り戻すための教育でもあるのだ。

「独自のビジョンで道を拓く若者が増えれば、社会の生産性と創造性は飛躍的に高まります。今の日本に足りないと思うのは、その"自主性"。FDを新たな教育の柱にし、人間がより創造的になれる社会を、ここ高知から実証したいんです」
その言葉のとおり、この取り組みは単なる授業では終わらない。小谷教授は、ビジョンを持った生徒たちがその後どう行動を変えるのか、長期的な追跡調査を行う構想を描いている。教育現場での実践をデータとして蓄積し、ビジョンの力を科学的に示す。すべての活動は研究という一本の軸でつながっている。
今でこそ若者に方向性を問い続ける小谷教授だが、その原点には、自身の苦い記憶がある。理系学部に進むも、強い違和感に襲われ、退学寸前まで追い詰められた経験だ。転機は、図書館で偶然手にした一冊の経済学書だった。「経済学は方向性を決める唯一の学問である」という一文に心を射抜かれ、「どうせなら世界の方向性を考える学問がしたい」と環境経済学を志し、渡米。留学先の恩師に資質を見出され、研究者の道へと舵を切った。
「僕が"尖る"と覚悟を決めたのは24歳の時です。それまでは自分らしさを追求することも、誰かに問われたこともなかった。そんな日本の教育や社会、流されていた自分への怒り。それが今の活動の原動力なんです」
そんな小谷教授のもとには、国内外から学生が集まり、食や環境など多様なテーマで研究が進む。時に高額な予算を要する挑戦的なプロジェクトもあるが、「できることは全部やる」と迷わず踏み出すのが小谷流だ。
「研究は知的冒険です。取り組むほど世界の見え方が変わり、解釈が更新されていく。自分がいなくなっても残る価値をつくり、次の世代へ手渡す。その歩み自体が楽しいんですよね」
さらに、小谷教授は「高知」でFDを実践する意義について、こう語る。
「課題の多い高知だからこそ、やる意味がある。人間が課題に追い込まれたとき、現状を打破するために必要なのは、やっぱり新しいビジョンですから」
FDを通じて「方向性を考える文化」を社会に広げたい。そしていつか「FDが日本発の学問として世界で育ってくれたら最高ですね」と楽しげに語る。課題先進県・高知から、FDを世界へ。未来をまっすぐ見据えるその表情を見ていると、実現の日はそう遠くないと思わされるのだ。

掲載日:2026年2月/取材日:2025年11月
]]>松崎教授の研究人生は、もともと多数の計算機を協調させて問題を高速に解く「並列プログラミング」から始まった。そこでは理論と効率化を突き詰めることが主な研究ターゲットだったが、2009年の本学着任をきっかけに、新たな方向を模索し始めた。
「抽象度の高い並列計算だけでは、学生にとってとっつきにくく、遠い存在になりがちです。せっかくなら学生が楽しみながら取り組める新たなテーマはないか。そのときに目をつけたのが、ゲームでした。ルールが明確で、結果が数値で返ってくるゲームなら、学びの入口にも研究の土台にも最適だと考えたんです」と振り返る。
こうして、ゲームを単なる娯楽ではなく、AIの性能を正確に評価し、思考過程や問題点を可視化するための研究基盤としてとらえる「ゲーム情報学」へと舵を切った。
着任当時、将棋や囲碁のように盤面の情報がすべて見える「完全情報ゲーム」ではすでに世界的な研究が進んでいた。そこで松崎教授が目を向けたのは、サイコロのようなランダム性や、トランプのように相手のカードが見えない状況など、運や隠れた情報が絡む「不完全情報ゲーム」の世界だった。
「2009年の時点で、将棋の研究は十分に成熟しており、囲碁の研究もかなり進んでいました。だからこそ、あえて手薄な領域を狙ったんです。不完全・不確実な情報のもとでどう判断するか。これは現実社会に通じるテーマなんですよ」
その"不確実性"という性質を、より定量的に扱うために選んだのが、世界的に知られるパズルゲーム「2048」だ。4×4の盤面上でタイルを上下左右にスライドし、同じ数字を合体させてより大きな数を作っていく。新しいタイルの出現位置や数はランダムに決まるため、運と戦略の両方が問われる。
松崎教授らは、このゲームを3×3の小さな盤面に縮小した「ミニ2048」を用い、AIの判断の仕組みを詳しく分析することにした。まず着手したのは、ゲームそのものを理論的に解き明かす作業である。ゲーム中に現れ得るすべての局面を洗い出し、各場面での最善の一手と、そこから期待できる得点を計算。約4100万通りに及ぶ膨大な状態の「真の評価値」を求め、局面ごとの見込み点を網羅したデータベースを構築した。
この"完全解析"によって、AIの判断を"真の正解つき"で検証できる理想的な実験環境が整った。AIは強化学習の過程で、「この状況は良い」「あの状況は悪い」と自ら評価値を付けながら最適な行動を学んでいく。そのスコアを真の値と一つひとつ照らし合わせることで、AIがいつ、どこで、どの程度誤った判断をしているのかを定量的に把握できるようになったのだ。
「多くのゲームAI研究は最終的な勝敗や平均スコアを指標にしますが、私は途中で何が起きているかを見たい。『なぜその判断をしたのか』を説明できるようにしたいんです」と語る。
完全解析データをもとに、すべての局面で最適な手を選ぶ"パーフェクトプレイヤー"を作成し、1万回のプレイを分析したところ、生存率が大きく低下する"難所"が複数あることが判明。また、真値のデータに人工的なノイズを加えて検証すると、誤差が大きいほどスコアが下がるという明確な関係が得られた。AIが各局面を評価する「評価関数」の正確さこそが、AIの実力を決定づける要因であることを裏付けたのだ。
続いて、2048やオセロでも実績のある「N-tupleネットワーク」を用い、構造や条件を変えて学習させたAIプレイヤーを比較したところ、設定が異なっても誤差の傾向はほぼ共通しており、特にゲーム終盤で誤差が増大することが確認された。AIが苦手とする"終盤の壁"がはっきりと浮かび上がったのだ。
この研究から、AIの性能を決める「評価関数」の学習にまだまだ改善の余地があると分かってきた。

AIの判断を測る基盤が整うと、次に見えてきたのは、"探索と活用のバランス"の難しさだった。未知の手を積極的に試すほど新しい発見は得やすいが、誤りも増える。逆に、慣れたやり方ばかりを繰り返せば、学びは頭打ちになる。このジレンマをどう制御するかは、強化学習の世界でも重要なテーマである。
これに対して最先端の2048プレイヤでは、未知の局面に高い初期評価を与えて試行を促す「楽観的初期化」が用いられていた。しかし、ミニ2048で検証すると、序盤の探索促進には有効でも、その効果は限定的であることが判明した。AIが自らの予測を過信し、誤った判断を繰り返してしまっていたのである。
そこで松崎教授らは、探索を促進する、質とタイミングを重視する設計に転換。過去にあまり選ばれていない手を優先する方法などを慎重に導入したところ、学習は安定し、スコアも向上した。「2048では探索は不要で自信過剰なAIがよい」という通説を覆し、適切な探索を加えることでAIの学習成果を向上させられるという新たな視点を提示したのである。
さらに、ミニ2048を用いた真の評価値との比較から、新たに「過大評価」という課題にも焦点を当てた。2048のプレイヤ開発では、盤面の回転や反転といった対称性を利用する効率化手法が用いられている。ところが、これが思わぬ副作用をもたらしていることを発見した。対称性のもとでは、とくに序盤ではどの手を選んでもスコア差が小さいため、AIが「どれも正しい」と思い込みやすい傾向がある。こうした条件が重なることで、AIは自分の"成功体験"を過信し、過大評価を引き起こしてしまうのである。
この問題の解決策として、松崎教授らは、2つの独立したネットワークが互いに学習を補正し合うことで過大評価を抑えるDouble Q学習という手法を導入した。実験の結果、確かに過大評価は抑制されたものの、今度は逆に評価が全体的に低めにずれる「過小評価」の傾向が確認された。AIがリスクを避け、安全側に寄った意思決定を行うようになった。つまり、慎重すぎるAIが生まれてしまったのだ。これは従来のゲーム木探索と組み合わせるのに不適切な性質である
自信過剰を正すと今度は臆病になるーーこの揺らぎを完全解析という確かな基盤の上で定量的に可視化できた意義は大きい。AIの学習過程に潜む判断の偏りが、より具体的にとらえられつつある。
こうして、AIの考え方を一つひとつ解きほぐしてきた松崎教授。次に見据えるのは、Google DeepMindが開発した世界最強のゲームAI「AlphaZero」の強さの理由を問うことだ。
AlphaZeroは、強化学習・ニューラルネットワーク・モンテカルロ木探索(MCTS)という3つの技術を融合した革新的手法で、将棋や囲碁、チェスでトッププロをはるかに越える強さを達成したことで知られている。しかし、その強さの根拠については、いまだ明確に説明されていない。
「AlphaZeroは非常に優れていますが、"なぜ強いのか"という問いに正面から取り組んだ研究はほとんどありません。私たちは理論的な裏付けをもとに、その構造を一つずつ検証していきたいと考えています」
松崎教授らによるミニ2048を用いた一連の分析からは、探索が必ずしも正しい方向に導くとは限らず、評価関数のバイアス制御こそが性能を決める鍵であることが見えてきた。これは、「ニューラルネットワークとMCTSの組み合わせが最強」というAlphaZeroの設計思想とされてきた定説の一面を明らかにする成果と言える。
「AlphaZeroの開発者たちは、"ニューラルネットワークは非線形な計算を行うため、MCTSとの組み合わせが最適だ"と説明しています。でも、それが本当に唯一の最適解なのかは誰も確かめていない。その"なぜ"を明らかにしたいんです」
一方で松崎教授は、こうした基礎研究と並行して「世界最強の2048プレイヤーを作る」という挑戦も続けている。現在の世界記録は62万5000点。松崎研究室のAIプレイヤーはすでに58万7000点に到達し、記録更新は目前だという。
「理論を積み上げる研究も大切ですが、世界一をめざす実践的な目標があると、学生たちのモチベーションもぐっと上がるんです」と笑う。
AIの理論的な課題の解明と、世界記録更新への挑戦。二つのアプローチを並行させることで、研究はより深く、より確かな方向へと進んでいる。

松崎教授の研究は、ゲームという枠を超えて、AIの知能の根幹に迫ろうとする挑戦である。現実社会のように先の見えない状況で、どうすれば合理的な判断が可能になるのか。その答えを、ゲームという小さな世界の中で追い続けている。
「2048の多くの局面では、明らかなミスでなければどの方向を選んでも大きな問題は起きません。しかし、盤面がタイルで埋まりかける終盤では、一手の判断ミスが即座にゲームオーバーにつながります。つまり、普段は単純でも、時折極めて難しい局面がある。この構造は、私たちが生きる現実の世界とよく似ています。たとえば自動運転では、ほとんどの運転は単調な操作ですが、突発的に子どもが飛び出してきたときなど、瞬時の判断が求められます。現実社会でも、多くの判断は単純ですが、時に訪れる"難所"こそが重要なんです」
医療現場で複数の選択肢から最善を選ぶときや、災害時に限られた情報で行動を決めるとき、あるいは金融市場で瞬時にリスクを判断するときーーそうした"めったに起きないが極めて重要な場面"こそ、AIの真価が問われる局面なのだ。
そして松崎教授は現在、学内に新設された「ゲームAI深化研究センター」のセンター長として、AIと社会をつなぐ新しい応用領域を構想している。
「完全解析でAIの原理を突き詰めたあとにめざすのは、"社会に還元できるゲーム"です。実社会の問題も、ルールを定めて得点化してしまえば、ゲームとしてとらえ直すことができます」
学内外の研究者と連携しながら、ゲームの枠組みを応用し、複雑な現象をAIが理解できる形に翻訳することで、社会課題の解決につなげようというのだ。その応用先として考えているのが、「材料化学」や「神経科学」といった分野である。
「たとえば材料科学では、物理的な制約をゲームのルールと見なし、材料の性質を得点として評価すれば、最適な材料を探す問題は"高得点をめざすプレイ"と同じ構造になります。つまり、『軽くて強い素材を見つける』ことを、AIにとってのゲームクリアとして学ばせることができるんです。また、脳の働きを数理モデルとして再現する神経科学の研究でも、AIが『どんなときに誤るのか』という知見が生きてきます」
ゲームで得た"失敗の法則"をもとに、AIがより人間らしい学習過程を持つよう設計することも可能になる。そこで重要になるのが、これまでに明らかにしてきたAIの落とし穴を、あらかじめ潰しておくことだ。
「特定の状況でAIが失敗しやすいパターンを理解し、それを回避する設計を施すことで、より信頼性の高い結果を得ることができます。つまり、社会実装に向けては、こうしたリスクを先に取り除いておくことが欠かせません。身近なゲームから導き出されたAIの特性が、将来きっと人間社会を支える力になると信じています」
ミニ2048という一見シンプルなゲームの中に、AIの知能の本質を探り、その知見を社会の課題解決へとつなげる。松崎教授の研究は、AIがなぜ強いのかを問い直すと同時に、人間社会の中でより信頼され、ともに判断できる存在へと進化するための可能性を切り拓く試みでもある。

掲載日:2026年1月/取材日:2025年10月
]]> 中心に穴の空いたドーナツ型の光が、らせんを描くように進んでいくーー。これが「光渦(ひかりうず)」と呼ばれる特殊な光だ。場所ごとに進む速度がわずかに異なるように設計することで、本来直進するはずの光がねじれを帯び、この独特な形が生まれる。
いま世界中で研究が進む光渦を自在に操り、未来の技術へつなげようとしているのが、小林 弘和教授だ。高校時代は電子回路やプログラミングに夢中だったという小林教授が、光の世界に踏み込むきっかけはどこにあったのだろうか。
「光は回路のように手で作ったり直したりはできません。でもコンピュータや電子技術を使えば、自分の思いどおりに操れる。そこに面白さを感じたんです」
通信、センシング、医療、量子技術。こうした先端分野において、光は欠かせない存在だ。小林教授の出発点は、「ちょっと変わった光をつくってみたい」という素朴な興味。それが今では、光渦を中心とした幅広い研究へと広がっている。
光渦の最大の特徴である、らせん状構造。この形こそが、様々な応用分野への扉を開いている。「普通の光ではできないことが、このねじれた光ならできる。そこが面白いんです」と熱を込めて語る。
たとえば、ナノスケールで物質を観察する「STED顕微鏡」。光渦の中心の穴を生かすことで、通常の光ではとらえられない微細な構造を、より鮮明に描き出すことができる。がん細胞の診断や神経細胞の観察など、医療・バイオ分野で注目を集める技術だ。
小林教授らは光渦を用いて、従来よりも細胞核の輪郭をくっきりと映し出す独自の技術(下図)を開発した。透明な構造物でも、縁の部分だけにコントラストをつけて可視化することができるため、観察の精度向上に大きく貢献している。
光渦の可能性は"見る力"にとどまらない。光はもともと高速通信に適しており、いまは主に光の"色"の違いで情報を振り分けている。ここに"形"、つまり光渦を加えれば、同時に扱える情報量を飛躍的に増やすことができる。
「同じ赤い光でも、まっすぐ進む光とらせん状の光を区別できれば、それぞれに別の情報を載せられるわけです」
さらに、一色の光に巻き方の異なる渦を重ねて使えば、情報の密度を一段と高められる。そこで、小林教授らは、光渦のらせん構造を一重・二重・三重と自由に変化させる新たな手法を開発した。「この技術を使えば、これまでの10倍、100倍といった大容量通信も夢ではありません」と期待を膨らませる。

光渦はモノを動かすこともできる。小林教授はフランス・ボルドー大学との共同研究で、光渦の特性を利用し、液晶分子の動きを制御することに成功した。回転の速さや方向といった光渦の条件によって、液晶分子がねじれたり、回転したり、整列したりする、その仕組みを実験と理論の両面から明らかにしたのだ。電気を使わず、光だけで液晶を操るこの技術は、光駆動の次世代デバイスの実現はもちろん、液晶の変化を光で読み取るバイオ・医療用センシングの開発にもつながる可能性がある。
さらに、光のわずかな圧力を利用して微粒子を非接触でつかみ、動かす「光ピンセット」技術でも、光渦は威力を発揮する。単なる位置の移動にとどまらず、粒子を回転させるなど、より精緻な操作が可能になるのだ。
「渦を二重、三重と複雑にするほど、回転の力は強まることがわかっています。私たちが開発した光渦の巻き方を制御する技術は、ここでも生きてくるはずです」
この光渦がもつ"操る力"は、量子の世界にも広がっている。小林教授がいま注力している量子光学の分野では、光の粒子をひとつずつ操作することで、新たな通信や計算の仕組みを生み出すことができる。「ずっとやりたかった研究に、いま満を持して学生と一緒に取り組んでいます」と笑顔を見せる。
すでに量子暗号通信は一部で実用化されているが、「渦を持った量子光」に関しては、未知の領域が多く残されているという。
「光渦には、普通の光では生み出せない複雑で独特なふるまいが期待できます。それをうまく利用できれば、より高度な計算やセキュリティ性の高い通信の実現につながるでしょう」

多様な応用の可能性を秘めた光渦の世界。一言で 光を"操る"と言っても、その裏側には地道な試行錯 誤の積み重ねがある。小林教授の実験室を訪ねる と、精密な光学部品や機器が所狭しと並び、実験台 の上には複雑な迷路のような装置が広がっていた。
「光の通る道筋や反射する角度、描く軌道の形など を頭に描きながら、0.1度単位で鏡を傾け、透明な素 子を0.1ミリ単位で配置します。そうして光を思いど おりに導くんです」
幾多の過程を経て、光渦の像がようやく姿を現す。 その瞬間、胸に大きな喜びが湧き上がるという。
「多大な労力をかけて築き上げたものが、最後に見 える形として現れる。その瞬間が何よりうれしいですね」
取り組むテーマは多岐にわたるが、その根底には 「光のもつ自由度を最大限に引き出す」という姿勢が ある。
「光は波長や色、強さ、向き、ねじれの具合まで自在に 操れる、多様な顔をもつ存在です。その性質を組み 合わせれば、まだ誰も見たことのない機能や価値を 生み出せる。光はすでに縁の下の力持ちとして、暮ら しのあらゆる場面で生かされていますが、これから も光の可能性を引き出す技術を駆使して、次世代に 役立つ新たな光を生み出すこと、それが自分の役割 だと考えています」
そして未来を見据え、こう結んだ。
「光の技術は、もはや電気と並ぶ基盤になりつつあり ます。やがては、すべての電気回路が光に置き換わる時代が来るかもしれません」光の可能性は、いま新たなステージへ。その歩みの中で、小林教授は光とともに未来を明るく照らす 道を探り続けている。
掲載日:2025年10月/取材日:2025年7月
]]> 脳は人体の中で最も謎めいた器官のひとつ。その複雑で驚異的な働きについては、まだ多くの謎が残されている。脳神経科学者の竹田教授が、脳の働きを意識するようになったのは、中学生の頃に抱いた素朴な疑問がきっかけだった。
「好きな女の子ができて、毎日その子のことで頭がいっぱいになってしまったんです。何億人もいる女性の中で、なぜその子のことだけをずっと考えてしまうのか。でも他の友人たちはその子を何とも思っていない。この思考の違いはどこから来るのだろうか。そんなことを考えるようになったのです」
こうした経験から、人の感情や思考、行動を支える脳の柔軟性に興味をもち、大学では「愛」について学びたいと心理学を専攻した。しかし、研究を進めるうちに、「人の心を解明するためには脳自体を研究する必要がある」と思うようになり、修士課程からは脳神経科学の道に進んだ。
脳や神経の研究に没頭する中で、竹田教授はひとつの確信に至ったという。それは「人の認知機能の中で、最も重要なのは記憶である」ということ。さらに「記憶は人を人たらしめるもの」と強調する。
「私たちは日々あらゆるものごとを記憶し、また思い出すことができます。この記憶という機能は、私たちが自己を理解し、アイデンティティを形成するための基盤となります」
それだけでなく、記憶や注意、判断、理解、思考といった数ある認知機能の中で、記憶は私たちにとって特に大きな関心事でもある。
「例えば、学生時代はテスト前にいかに効率的に暗記できるかを考え、年を重ねると記憶力を維持しようと脳トレに励んだりします。記憶は日常に深く結びつき、世代を超えて『向上させたい』という共通認識が広がっている。そんなところに面白さを感じて、一貫して記憶に注目してきました」
竹田教授は、記憶の中でも日常生活で使う知識や概念を覚える「意味記憶」を中心とした記憶のメカニズムの解明を進めている。「意味記憶は、私たちが何かを覚えたり、思い出したりする際に欠かせないもの」と語る。例えば、ふと耳にした音楽が、幼少期の懐かしい風景や出来事を呼び覚ますことがある。この時、曲名や作曲者などの情報は、意味記憶として脳に蓄えられている。つまり、意味記憶はただの知識の断片ではなく、日常の豊かな記憶体験を支える存在なのだ。
この記憶と密接に関わっているのが「睡眠」だ。記憶は眠ることによって定着することが知られている。竹田教授は「この記憶固定プロセスの鍵を握るのが、睡眠中に起こる『リプレイ活動』だと言われています」という。これは一体どういうものなのだろうか。
「リプレイ活動は、日中に経験した出来事や学んだことを、睡眠中に脳が再現する現象のこと。例えば、入社式で同僚の顔と名前を覚えた後、睡眠中に脳がその時の脳活動を再現する、といったことが挙げられます。ネズミの研究では、睡眠中にリプレイ活動が検出された時は、起床後の記憶力が向上することが確認されています」
竹田教授らの研究チームは、リプレイ活動を人の睡眠中にも検出し、それが記憶の固定にどのように関与しているのかを世界で初めて明らかにすることをめざしている。しかし、睡眠中の脳活動は非常に複雑でノイズが多いため、単一の計測法では正確な検出が難しい。そこで竹田教授らは、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)とEEG(脳波)を組み合わせて、脳活動を同時計測する技術を開発し、脳活動パターンをより精緻に記録する手法を確立した。さらに、深層学習を用いた脳活動データの高精度な解析手法も開発中だ。
それと並行して、リプレイ活動に関連するとされる「睡眠徐波」にも着目してきた。睡眠徐波とは、深い睡眠時に大脳の前頭葉に現れる規則的な波。これが記憶の定着に関与しているならば、波を増強した場合は起床後の記憶力が向上し、減弱した場合は低下するという仮説を立て、実験を行った。この実験を行うにあたって、竹田教授らは、睡眠中の脳活動をモニタリングしながら、睡眠徐波をリアルタイムで検出し、そのタイミングに合わせて脳に電流刺激を与える『closed-loopシステム』を独自に開発。このシステムを用いて、波の強弱を操作し、記憶力にどのような変化が生じるのかを検証した。
「大学生を対象に行った実験の結果、睡眠徐波を増強した場合は、起床後の記憶成績が向上し、逆に減弱した場合は低下するという仮説どおりの結果が得られました」
またリプレイ活動は、電流刺激では届かない脳の深部も関与していると考えられている。そこで、"超音波"刺激を用いた新たな実験も開始している。「超音波刺激は脳深部まで到達できるので、これまで困難だった脳深部の活動の検出も可能になります」と語る。これらの研究が進めば、リプレイ活動の全容解明に大きく近づきそうだ。
「本学の研究環境を生かした同時計測技術のほか、独自に開発した『closed-loopシステム』を使って実験できるところが、私たちの強みです。この技術によって睡眠徐波の強弱を操作することが可能になりました。さらに同時計測した脳活動データをAIで解析する試みも、私の知る限り世界で初めてのことです。私たちはこうした最先端技術の導入により、研究面で世界をリードしていると自負しています」
竹田教授のめざすゴールは、「記憶に関する研究成果を生かして、人の記憶力を高める装置を開発すること」だという。
「具体的には、枕に装着するだけで、睡眠中の脳波を自動的にモニタリングし、最も効果的なタイミングで電気刺激を与えられるデバイスを構想しています。その目的は二つあり、一つは、高齢者の記憶力を維持させること、そしてもう一つは、子どもたちの記憶力を向上させることです。記憶力の良し悪しは遺伝的な要素がありますが、生まれた後の環境や経験によっても柔軟に変化していきます。記憶力が良くないというだけで、人生でハンデを負ってしまうケースは多いと思いますが、せめて記憶力くらいはどの子も一定の水準まで引き上げたい。そうすることで、これまで暗記に費やしていた時間を減らし、創造力や発想力で個性を伸ばせる社会を実現できるんじゃないかと考えています」
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創造性やひらめきは、何もないところから生み出されるわけではなく、多くは記憶や経験がもとになっている。記憶力の向上は学習だけでなく、創造性や発想力の向上にも必ず役立つはずだ。
「ただ、こうした装置の開発には技術的な課題が残っています。というのも、脳波をもとにした装置の開発は進展しているのですが、大型のMRIのデータを活用した装置開発にはまだ技術的な限界があるんです。一方、研究の世界ではMRIを使った成果は非常に多い。そこで私は、MRIのデータを脳波のデータに変換するメカニズムを突き止めたいと思っています。そこを明らかにすることで、膨大な研究の蓄積があるMRIのデータを生かした装置を開発し、世の中に普及させたい。まだまだ時間はかかると思いますが、将来的な実用化は十分可能だと確信しています」
竹田教授の研究は、私たちの脳の働きや日常生活、そして社会をより良い方向へと変えていく可能性を秘めている。誰もが高い記憶力をもち、自由に創造力を発揮できる未来をめざして、竹田教授の挑戦はこれからも続いていく。
掲載日:2025年5月/取材日:2025年3月
]]>須藤特任教授が物理学に興味を抱いたのは、「世の中がどのように振る舞っているのか、その根本的な仕組みを知りたい」という強い好奇心がきっかけだった。物理学という学問の中でも特に、宇宙の謎を解く理論である「一般相対論」に感銘を受けたことから、宇宙物理学の世界に足を踏み入れることになる。
宇宙では、惑星、恒星、星団、銀河、銀河団といった多様なスケールをもつ天体集団が階層構造を成している。須藤特任教授は、この構造の形成と進化を支配する「重力」を基盤として、観測データをもとに宇宙の構造や起源などを解明する「観測的宇宙論」の研究に力を注いだ。「私が研究を始めた1980年代後半から20年余りの間に、観測データの精度は飛躍的に向上しました。精密宇宙論の黎明期とも言える時期に研究を始められたのはラッキーだったと思います」と当時を振り返る。
最新の観測データからは、宇宙に存在する物質のうち、私たちが直接観測できる物質はわずか5%であり、残り95%は目に見えない「ダークマター」と「ダークエネルギー」と呼ばれる未知の物質とエネルギーで構成されていることがわかっている。須藤特任教授は、これらの未知の成分が宇宙の階層構造の形成と進化にどのように影響しているのかを探ってきた。
「20世紀の終わり頃になると、宇宙の組成に関する基礎的な理解はほぼ確立したと言えます。そこで、私は次の興味を新たなテーマに向けたのです」
次に須藤特任教授の関心を惹きつけたのは、「太陽系外惑星」だった。太陽系外惑星とは、太陽以外の恒星の周りを公転する惑星のこと。1995年に初めて発見されて以来、天文学において大きな注目を集める代表的な分野の一つとなった。これまでに6,000個近くの系外惑星が確認され、その中には地球に似た環境を持つと予想される「ハビタブル惑星」の候補も数十個ある。つまり、太陽系外惑星を研究することによって、「地球以外の惑星に生命が存在するのか」という、もはや狭い意味での天文学・物理学にとどまらない科学の最も根源的な問いの一つに答えを見出せる可能性が拓けつつあるのだ。
「何よりも私が興味を惹きつけられたのは、太陽系外惑星そのものよりも、その先にある『地球外生命の存在を探る』という究極のテーマでした。そこから、観測データをもとに生命の存在を示す証拠(バイオシグニチャー)を見出すための方法論の開拓に挑戦してきました」
バイオシグニチャーの代表例としては、大量の水や酸素、オゾン、メタンといった地球上で生物の存在と密接に関係する分子の分光学的検出が挙げられる。これらの方法と合わせて有力なのが、植物が放つ「レッドエッジ」と呼ばれる特有の反射スペクトルだ。地球上の植物は可視光線の青や赤の光を光合成に利用するが、その中間の緑の光は光合成には利用されない。これが植物の葉っぱが緑色に見える理由だが、じつはより長波長の赤外線領域ではその大部分を反射している。760nmよりも長波長で急激に反射率が増加するこの性質は植物のレッドエッジとして知られている。もしもこのレッドエッジが他の系外惑星で同定されれば、そこにも地球と同じ光合成系をもつ植物、すなわち地球外生命が存在するバイオシグニチャーだと言えるのではないか。
「米国の著名な惑星科学者・天文学者であるカールセーガンは、1989年、ガリレオ衛星から地球を観測した際、水や酸素、メタンなどのほか、南米付近においてレッドエッジと思われるシグナルを確認しました。これはリモートセンシングの技術を応用して観測的に地球上生命の存在を証明する非常にユニークかつ先駆的な研究でした」
では、遠方の惑星に広範な植生があるとして、同様の観測が現実的に可能なのか。じつはそのための方法論はまだ確立されていなかった。そこで須藤特任教授らは、植物をはじめ、海、陸地、雪などの成分の反射特性を利用して、それらが系外惑星の表面を覆っていた場合、各成分の分布を推定する新たな方法論を提案した。その鍵となるのが、惑星の自転によって生じる表面の「色の変化」だった。
「仮に地球で考えてみましょう。遠方から地球を観測すると、単なる点にしか見えませんが、地球は自転しているため、たとえ点であろうとその見かけ上の色は時間とともに変化します。例えば、サハラ砂漠がこちらに向いている時期は赤っぽく、太平洋が向いていれば青く、アマゾンのジャングルが向いていれば可視光では緑色、近赤外線では明るく見える。そこで私たちが提案した方法をもとに、地球の自転に伴う反射光の色変化シミュレーションを行い、推定された地表面成分の経度分布地図を作成したところ、実際の地球の表面の分布を近似的に再現できることを示しました」
遠方から見ると単なる点にしか見えない惑星も、時間の経過による色の変化を詳細に観測することで、その表面に存在する成分の組成や分布を推定することが可能である。2010年に発表したこの研究成果は、「第二の地球」を探求する上で重要な示唆を与えてきた。
「これは当時としては非常に先駆的でチャレンジングな試みだったと思います。私たちが提案した方法論が応用できるようなデータが実際に得られるようになるまでには、まだまだ長い年月がかかるでしょう。私が生きている可能性はほぼゼロです。しかし、当時一緒にこの研究に取り組んだ学生たちは今、世界の太陽系外惑星研究をリードする優秀な研究者として活躍しています。やがて、彼ら、あるいは彼らのお弟子さんたちが、遠方の惑星でバイオシグニチャーの同定に成功する日が来ることが楽しみです」

須藤特任教授の探究心は、太陽系外惑星にとどまらず、「連星ブラックホール」の研究にも広がっていく。それは2015年、「重力波」という時空の歪みが地上で初めて検出されたことに起因する。
1916年にアイシュタインが一般相対論で予言し、それから約100年後に初めて地上観測装置で検出された重力波。それは太陽の約30倍もの質量を持つ2つのブラックホールが合体した結果放出された、誰も予想しなかったものだった。この発見は、重力波の直接検出という物理学的意義に加えて、宇宙には連星ブラックホールが数多く存在していることを意味し、天文学にも変革をもたらした。
「現在までにすでに100個を超える連星ブラックホールが見つかっていますが、重力波で検出できる連星ブラックホールは、合体直前の超短周期のものがほとんどです。一方、広大な銀河系内には、もっと長い時間スケールをかけて公転する長周期の連星ブラックホールがたくさんあるのではないか。それを見つけることはできないかと考え、その探索方法の研究に乗り出しました」
銀河系内に存在しながら、重力波では観測できない長周期連星ブラックホールを発見する方法として、連星ブラックホールの周りを公転する星の運動に着目し、外側の星が内側のブラックホールから受ける重力の変調成分を精密に観測することによって、その動きから内側のブラックホールが単一なのか、あるいは連星を成しているのかを推測する手法を提案した。 さらにブラックホール2つが互いに引き合いながら回転している連星系とその周りを回る天体からなる「三体系」の力学的安定性を定量的に理解し、三体系の運動から連星ブラックホールの性質を解明することにも取り組んでいる。
「2020年に私たちが提案した方法論をもとに、カルフォルニア工科大学のグループが2023年に実際に観測を行いました。残念ながら、彼らが観測した系の中心のブラックホールが連星をなしている可能性は低いことがわかりましたが、私たちの方法論が将来連星ブラックホールを可視光で発見する有用な手法であることを示してくれました。今後発表されるガイア衛星の観測データから同じく挙動不審な運動をする恒星を見つけ出し、それを精緻に解析することで最終的には連星ブラックホールの新たな発見につながるものと期待しています。そして将来的には、ブラックホール周辺の天体の運動から、重力波観測では検出できない長周期連星ブラックホールという種族の存在が確立することを祈っています」
興味の矛先を柔軟に変えながら、広大な宇宙の多様な振る舞いを見続けてきた須藤特任教授には、長い研究人生の中で得た教訓があるという。それは「物理法則に矛盾しないものは、この広い宇宙のどこかで必ず存在する」という、カール・セーガンが残した言葉だ。
「今では当たり前のように知られているブラックホールや中性子星などの天体、そして重力波もまた、理論的に提案された当初は『あくまで理論的可能性でしかなくそんなものが実在するわけがない』と思われていました。それが長い時間をかけた科学・技術の進歩によって実在するどころか、宇宙では極めて当たり前の存在であることがわかってきました。このように私は自分の研究活動を通して、カール・セーガンの言葉を驚きと感動をもって体感してきました。これは宇宙物理を学んで得た人生の教訓だと思っています」
そして今、須藤特任教授はこの教訓を胸に刻みつつ、故郷の高知で地域に貢献するという新たな地平を切り開こうとしている。
「高知に戻ってきたのは、高知愛がすべてです。高知には高齢化や人口減少をはじめとした課題が山積しています。まだ自分が元気なうちに戻ってくれば、何か高知のためにできることがあるのではと考えたのです。高知は現在困難な課題が山積した先進県として日本のトップを走っていますが、いずれは日本全体がそうなっていく。では、どうすれば日本がそして世界が幸せであり続けられるのか。決して大それたことはできませんが、今自分にできることを少しずつ探しているところです」
宇宙から地域社会へーー須藤特任教授の興味と研究の範疇はさらに広がりを見せている。宇宙の謎に挑んできた探求心と高知への熱い想い。その掛け合わせから、どのような化学反応が生まれ、また新たな研究に発展していくのか。高知の未来を見据えた今後の活動に注目していきたい。

掲載日:2025年3月/取材日:2024年11月
]]> 小濱准教授が研究をスタートさせた2008年頃、日本の社会インフラは予算不足の中で劣化が進行し、危険な状況に直面していた。
「学生時代からずっとデータを使って統計的手法で劣化予測をしていました。インフラのアセットマネジメントにおいて最も重要なのは、必要となる予算の見積もりとそのための劣化予測です。企業がもつ定期点検データなどを使って分析して、どのように点検や補修など意思決定をすればより効率的か、予測モデルの精度を上げようと奮闘する日々でした」
2011年、大阪大学大学院・NEXCO西日本高速道路学共同研究講座が開設された。この講座の目的は、NEXCO西日本の豊富な高速道路事業経験と大阪大学の高度な学問力を融合し、高速道路に関する新たな学問分野「高速道路学」を開拓すること。具体的には高速道路の建設・維持管理、経営、情報化など、幅広い分野の研究を行い、より安全で効率的な高速道路の構築をめざすものだ。
2012年、小濱准教授はこの講座の運営者の一員となった。そして、無線センサを活用してあらゆる構造物を常時監視するシステム「newronⓇ (NEXCO West Real-time Observation Network)」の開発に携わり、2018年実装に漕ぎ着けた。
高速道路の安全を脅かす事象の中でも甚大な被害をもたらす土砂災害、その大きな原因は降雨による斜面の崩壊である。newronⓇは設置・撤去・メンテナンスが容易な無線センサで斜面の土中水分量や地下水位などをモニタリングするもので、IoT技術を活用して高速道路構造物の常時監視が可能となる。現在、新名神高速道路(高槻JCT・IC~神戸JCT)に設置し、試行が続けられている。
小濱准教授によると、「実は、高速道路に計測機器をつけること自体が、それまではあまりやられていなかった。その付け方も耐障害性、柔軟性、自己修復性の優れたメッシュネットワークを持つ無線システムでやって、かつ、無線システムからNEXCO西の自営回線に飛ばしてセキュリティも担保している、という点は評価されていいと思います。今後は、そうして集めたデータをどう事故防止に活かしていくか、つまりデータから情報を引き出し、予測し、活用するシステムの構築が課題となります」
NEXCO西日本との協業は小濱准教授にとって、オープンイノベーションの重要性を認識する機会となった。
「共同研究講座で11年半、企業と協働してきたというのが、大きなアドバンテージというか、(私は)かなり特殊な環境にいて、そこではオープンイノベーションというのが目に見える形で展開していたんです」
オープンイノベーションとは、企業が自社の枠を超えて、外部の企業や研究機関、スタートアップ、そして一般の人々など様々な主体と連携し、新たなアイデアや技術を取り入れてイノベーション(新たな価値)を創出していく取り組みを指す。
「大学が専門知識(シーズ)を企業に提供し、企業側はその企業で課題となっているニーズとシーズをうまくマッチングさせて、そこでイノベーションを引き起こす。私が所属していたNEXCO西日本の高速道路学共同研究講座でやっていたように、オープンイノベーションの成果を現場で本当に役立つ、使える研究成果としてカタチにしていく。従来から言われている"産学連携"を"産学共創"へと発展させることを、これからの目標のひとつにできたらと思っています」

インフラ維持管理の現場では、デジタル技術の進展に伴い、スマートインフラマネジメントという新しいアプローチが注目を集めている。これは、IoTセンサー、ビッグデータ解析、AIなどを統合的に活用し、インフラの状態を継続的にモニタリングしながら、最適な維持管理の実現をめざす取り組みだ。「従来の定期点検に基づく維持管理から、リアルタイムデータを活用した予防保全型の管理、への転換が進んでいます。スマートインフラマネジメントでは、各種の計測を通じて収集された膨大なデータを、AIを用いて分析することで、異常の早期発見や将来の劣化予測を可能にします」と小濱准教授は説明する。
小濱准教授が現在取り組んでいる斜面崩壊箇所のスクリーニングに関する研究も、スマートインフラマネジメントの可能性、実用性の拡大を目標としている。
高速道路にとって斜面の崩落が、非常に大きなリスクであることは言うまでもない。高速道路会社は、法面(のりめん)の補強工事などのハード面の対策、土砂崩れを引き起こす原因となる降水量に応じて事前に通行規制を行うソフト面の対策、土砂崩れが起きたことをいち早く察知して現場に赴き、対処をして通行を再開させるといったソフト面の対策、の3つを大きな軸とした対策を講じている。小濱准教授は統計的手法を用いてソフト面の2つの対策を高度化してきた。そして今、ハード面の対策を支援するための研究を行っている。
「NEXCOではどの法面に対して補強工事を実施すべきか、注意を払うべきか、が重要な課題となっています。法面の調査データや、災害が発生した記録はしっかりと残ってある。そして航空測量によって得られる大量のデータもある。ただどう活用するかが難しい。斜面が崩壊する原因は経験的には知られているものの、まだ知らない原因があるかもしれない。何より斜面というものはわからないことが多すぎるんです」
そこで小濱准教授は、高速道路沿いの斜面崩壊の危険性を予測するモデルの作成を進めることにした。まず、航空機から取得したレーザー計測(LP)データを活用して、山陽自動車道で過去に土砂災害が発生した地点(渓流)の形状を詳しく分析した。プロセスは以下の通り。
まず、対象エリアを1メートル四方のメッシュ(格子)に区切って地形データを作成。 次に地図中で過去に崩壊した場所と崩壊していない場所を区別し、斜面の勾配、水が集まる面積、地形の曲がり具合などの特徴を抽出する。
そして2種類のAI(人工知能)を使って分析を行う。GCN(Graph Convolutional Networks)は、斜面崩壊の原因となる要因を探り出すのに使用。PointNet++は危険な斜面を見つけ出すのに使用した。
その結果、GCNの分析では、斜面の横方向の曲がり具合(横断曲率)、標高、勾配が特に重要な要因であるとの推定が得られた。またPointNet++による予測では、実際に崩壊した場所の88%、崩壊していない場所については64%の精度で予測することができた。
「たとえば、崩壊において横断曲率、標高、勾配が重要な要素だとわかれば、それらを考慮したうえで、より効率的に危険箇所を見つけ出すことも可能です」
ところで、斜面の崩壊予測でも確かな分析力を発揮したAIを小濱准教授はどのように評価しているのだろうか。
「最近、AIによるデータ分析で意思決定を支援する、ということがよく言われます。これはAIに限らず、統計分析でも同じで、データ分析自体が直接、意思決定につながるのではなくて、必ず人間が意思決定するという形を取るわけです。では、なぜそうすべきなのか。AI、統計分析ともに、結局のところ、データの関連性を見ているに過ぎないからです。原因とか結果というものは分析の中には含まれてない。だから、原因・結果の因果関係を理解できる人間がしっかりと判断する、つまり、人間の意思決定を入れているということなのです。AIは思いもよらない答えを出してくることがある。正解か間違いかはわからないけど予測の精度は数字だけを見ると高いはず。でもその時、人間が正解だと思う答えじゃないと採用はしにくい。それはやっぱり、AIはデータの因果関係を見ていないという考えが何となくではあるけれどわかっているからです。人間はデータの関連性だけでなく、因果関係を導くことができる。その意味で、人間は今はAIよりも賢いといえます。」

掲載日:2025年3月/取材日:2024年11月
]]> 近年、西内教授が特に焦点を当てているのが、"子どもや若い世代"の移動をどのように支えていくかということ。子どもや若い世代に着目するようになった背景について、このように語る。
「2050年には、65歳以上の人口が増加して全体の約40%を占める一方、若年人口(0~14歳)は全体のわずか9%弱になると予測されています。地方都市の交通には課題が山積していますが、今のうちに手を打っておかなければ、25年後にはさらに深刻な交通問題に直面するかもしれない。そんな懸念が高まったことが背景にあります」
西内教授がまず着目したのが、子どもたちを交通事故から守るために、将来に向けて安心安全な交通空間を確保すること。西内教授らが高知県で行った調査によると、幹線道路と生活道路を走る車の速度にほとんど差がないことがわかり、各道路の区別が曖昧になっている現状が浮き彫りになった。
「特に生活道路では、地域の人たちが抜け道でスピードを出して通過したり、慣れに乗じて危険な行動をしたりするケースが多く、交通事故のリスクが高いことが見えてきました」
これには「車が優先」というドライバーの意識が根深く関わっていると指摘する。
「日本の道路空間は生活道路も含めて車が中心であり、ドライバーにも『車が優先される』という認識が強いと感じています。しかしその背景には、車の走行を前提とした道路設計が今もなされていることが原因としてあるんじゃないか、特に地方ではこの傾向が顕著なのではないかと考えています」
生活道路における通行機能を縮小し、歩行者の安全を最優先にした道路空間の再配分の必要性を痛感した西内教授は、大がかりなハード整備ではなく、既存の道路空間を生かしたソフト対策によって歩行者の交通機能を向上させることを模索してきた。
「そこで考えたのが、子どもたちのために、生活道路のなかの通学路という区間だけでも車の通行を制限し、安全に楽しく遊びながら登下校できる空間を実現できないかということでした」
子どもにとって安全な道路空間を確保するために取り組んでいるのが、情報通信技術を活用した「こどもITS(高度道路交通システム)」の開発だ。ITSとは、車両や道路、歩行者の動きをリアルタイムで把握し、安全な交通環境を提供するためのシステムだが、これを子どもの歩行行動に特化した形で活用し、通学路での安全性向上を目指している。
「通学路では車側がもっと安全に通行することが不可欠だというエビデンスを蓄積することで、通学路のマネジメントを考えていく必要があるという提言につなげていきたい。今はそのための基礎的な研究を進めているところです」
そこでまず、子どもたちの歩行行動の特性を把握することから始めた。具体的には、香美市内の小学校に隣接する通学路を撮影し、その映像から物体検知ライブラリを用いて子どもたちの動きをデータとして収集。そのデータを用いて、速度や進行方向、周りの歩行者や車両との関係性などを分析し、子どもたちがどのような要因で経路を決定するのかを考察した。さらに、分析で得た子どもたちの行動特性を加味した「歩行行動モデル」を構築した。
分析の結果、登校時よりも下校時の方が子どもたちの歩行空間にばらつきが生じやすく、急な飛び出しや横断のリスクが高いことが見えてきた。また子どもは視野が狭く、周囲を十分に意識せずに歩行していることも明らかになった。
「こうした知見を生かし、今後は子どもの歩行の変化が発生し得る区間や時間帯をリアルタイムで検知し、危険な状況を回避できるシステムを考えていきたいです。もうひとつ、私が特にやりたいのは、その区間や時間帯は車両の通行を規制し、『遊び場』としての道路空間を確保すること。首都圏ではこうした取組みが導入されている地域もありますが、これを地元でも運用を考えていくべきだと思っています」
人口減少が進む地方都市では、特に子どもたちを守り育てることが重要なテーマといえる。西内教授がめざす、子どもが安心して道路を使えるような取り組みは、その地域の未来を支えることにつながっていくだろう。

車社会からの脱却をめざすにあたって、車に代わる移動手段の重要な柱となるのが公共交通だ。しかし、西内教授は、「高知県のなかでも特に中山間地域では、子どもや若い世代は公共交通機関に乗る機会を与えられていないと言えます。だからこそ、子どもたちのため、という視点に立って研究を進めているのです」と強調する。
地方都市の公共交通は、利用者の減少によるサービスレベルの減少、利用頻度の減少といった負のスパイラルに陥っている。子どもや若い世代に将来の移動の選択肢を提供するためにも、今後は若い世代にとっても魅力ある公共交通サービスを提供することが重要になる。
そこで、西内教授らが目をつけたのは、毎月一定額を支払えば複数の公共交通機関を何度でも利用できる「定額利用サービス」だ。これは複数の公共交通を最適に組み合わせて検索・予約・決済などを一括で行う「MaaS(Mobility as a Service)」のひとつ。高知ではまだ導入事例のない複数の公共交通を定額で利用できるサービスを提案することが、沿線住民の行動にどのような影響を与えるのか。これを明らかにしようとアンケート調査から分析を行った結果、サービスの価格が上がるほど購入意向は低くなるものの、一度購入すると利用頻度が高くなることがわかった。
「高いものは買わないというごく当たり前の心理が見えてきた一方で、すごく面白いなと思ったのが、価格が上がるほど購入者の利用頻度が増えるということ。つまり、定額利用サービスが導入されると、人々は元を取ろうとすることが確認できました。一方、価格が最も低い場合でも利用回数が増えることもわかりました。さらにこのサービスを導入すると、普段公共交通を利用していない人のうちの約2割程度が振り向いてくれる可能性があることも明らかになりました」
定額利用サービスが公共交通の利用頻度を高めるのに効果的であり、地方都市の公共交通の活性化につながる可能性があることが見えてきた。
「この成果を公共交通の事業者さんにお見せしたところ、鉄道路線に並行したバス会社との連携による共通の仕組みをつくろうといったポジティブな意見をいただきました。そうやって高知の公共交通も、子どもたちのためにどんどんおもしろくやっていければと思っています」
西内教授はMaaSに関して、研究だけでなく実践的な取り組みにも関わってきた。それが、西内教授もメンバーの一人であった高知県嶺北地域公共交通協議会が実施した「公共交通利用モニター」プロジェクトだ。高知県北部の嶺北地域から公共交通を使って通学・通勤している人をモニターとして募集。2023年4月から1年間の活動期間は公共交通の運賃を全額助成し、公共交通を利用する日常をSNSで発信したり、公共交通を利用するなかでの困りごとや改善点などを同協議会に伝えたりする役目を担ってもらう。
「モニターの高校生たちがインスタグラムにアップした投稿を見て、一般の方が応援してくださったりと、この取り組みを通して嶺北地域の公共交通の認知度向上につながったと思います。一方、この実践を行うにあたっては、JR四国さんが最寄りの大杉駅に特急が停まるようダイヤの見直しをしてくださったり、嶺北観光さんがバスの時刻を特急や普通列車と連携してくださったりと、たくさんのご協力をいただきました。その甲斐あって、嶺北のような山間部でも今あるものを活用すれば、シームレスな公共交通サービスを提供できることがよくわかりました。こうした研究と実務の経験から、高知でも公共交通をシームレスにすることで、若い人たちも関心をもってくれるかもしれないということに気がつきました。その実現に向けて、さらに新たな研究ができればと思っています」
こうした研究と並行して、西内教授は高知県内の路面電車・バスで使える交通系ICカード「ですか」の長期的なデータを活用し、利用者の行動パターンを解析する研究にも長く取り組んでいる。このデータには、利用者の乗降時刻や乗降駅などの利用履歴が蓄積されており、利用者がどのように公共交通を利用しているかを詳細に把握できる。
「じつは高知の交通系のデータはかなり充実していて、ICカードデータが14年以上も同じシステムで記録されているのは世界的にも珍しいと思われます。この長期間にわたるデータを活用して、利用者の行動パターンを把握するだけでなく、ICカードに基づくAIモデルをつくり、あらゆる交通行動の解析につなげたいと考えています」
2022~2023年にかけて、ICカードを利用すると路面電車とバスの運賃が10円になる「ワンコインデー」が実施された。この施策がもたらす効果をデータから分析したところ、割引前は利用していなかった層がこの施策をきっかけに利用を始め、その後も一定期間利用を続けることが確認された。つまり、料金が安くなり、お得感が得られることがわかると利用する人が一定数存在することが明らかになり、割引施策の実施が、公共交通の利用促進に影響を与えることが示唆された。
さらに今、西内教授はICカードデータを活用した研究の一環として、公共交通の"利用をやめる"人の特性を把握する研究にも乗り出している。公共交通を利用していたものの、次第に利用をやめた人の行動パターンや特性を読み解き、利用をやめる可能性を予測するモデルを構築しようとしている。その先にめざすのは、利用者の行動特性に応じた利用促進策を展開することだという。
「例えば、運賃箱にICカードをタッチすると、『次回は半額になります』といった案内を個別に表示させることなどが考えられます。個々の利用者に応じてAIが運賃を決める仕組みを作り、利用をやめさせないためのマーケティング施策を検討していきたいですね」
地方都市のなかでも特に課題が山積する高知を拠点に研究することについて、西内教授はこの環境こそが独自の強みをもたらしていると考えている。
「交通工学は世界中で研究されている学問分野ですが、私たちのように地方都市が縮退していくことを前提として、将来の道路空間や公共交通のあり方を考える研究はあまりないのかなと思っています。課題先進県だからこそ得られるデータを使って分析し、新たな知見が得られるのは、高知で研究するからこそ叶うことです。
また都会と比べて、高知では交通の関係者との距離が近く、研究の成果が出るとすぐに報告することができます。そこから実践につなげてくださることもあります。研究が実務に直結するところが、高知で交通の研究をするやりがいであり、面白いところです」
高知で得られる豊富なデータと現場との密接な連携を生かし、地方都市の交通に関する多角的な研究を進めてきた西内教授。その根底には、「公共交通は交通弱者のためのもの、という人々の意識を変えたい」という強い思いがあるという。
「公共交通は"交通弱者の方や子ども・若い世代も含めたすべての人のもの"という認識を高知県民全員がもつべきだと思っています。将来を見据えて、子どもたちや若い世代に移動の選択肢を提供し、それを彼らにきちんと認識してもらいたいという思いがあります。そのためにも、私たちの道路空間と公共交通の研究を一体的に取りまとめて、『新世代型の交通ネットワーク』のビジョンをつくり、持続可能な交通システムの実現に向けた一歩を踏み出したいと思います」

掲載日:2025年3月/取材日:2024年11月
]]> スマートフォンや電気自動車、デジタル家電から、金融システム、交通インフラまで──。急速に進むデジタル化の要として、重要な役割を果たしているのが半導体だ。「半導体の微細加工技術が飛躍的に進化することで、あらゆるシステムの高性能化と小型化、省エネ化が実現してきました」という稲見教授。その象徴とも言えるのが、スマートフォンだ。iPhoneの最新機種には、実に"190億個"ものトランジスタが搭載されている。つまり、手の平サイズの箱の中に、目に見えないほど小さな半導体部品がぎっしりと詰め込まれているのだ。
「かつては大型コンピュータで何日もかけて行っていた計算が、今やスマートフォンで即座にできるようになりました。これこそ微細化の賜物です」
さらなる技術革新が求められる中、新たな原理に基づく手法のひとつとして、走査プローブ顕微鏡(SPM:Scanning Probe Microscope)※を用いて一つひとつの原子を見て動かす「原子操作」が期待されている。稲見教授が取り組んでいるのは、この究極の微細加工技術の開発。SPMを駆使して材料の構造や性質を"一原子"のレベルから理解し、物質に新たな特性や機能を見出すだけでなく、それらを制御するための技術開発も行っている。
「"原子レベルでのものづくり"というとわかりやすいですね。どんな材料も細かく見ていくと最終的には原子が並んでいる状態に行き着きます。原子同士のつながり方によってどのような特性が生まれるのかを理解し、その配置を意図的に変えることで、新しい材料を発見したり、既存の材料に新しい特性を見出そうとしています。そういうものを活用して、新しいナノ材料の開発や、それをベースとした高機能デバイスの実現をめざしています」
※先端が原子ひとつの鋭い針(プローブ)で試料の表面をなぞることで、表面の形状や物性を原子スケールで測定できる顕微鏡。光学顕微鏡のようなレンズはなく精密機械とモニターで構成される。
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稲見教授はこれまでにSPMを用いた研究で、世界にインパクトをもたらす数々の成果をあげてきた。炭素原子で構成された黒鉛(グラファイト)にわずかな可視光を当てるだけで、その一部がダイヤモンドとグラファイトの中間的な性質をもつ物質(ダイヤファイト)になることを発見したのもそのひとつ。その詳細を丹念に調べるなかで、光を当てると物質の構造や性質が変化する「光誘起相転移」の現象を世界で初めて原子スケールで直接観察し、仕組みを解明することに成功。また、相転移のプロセスが、光の波長に依存して大きく変化することも見出し、光のチューニングによって相転移のプロセスを原子レベルで制御できることを明らかにした。これらは新材料の開発を加速させる成果と言えそうだ。
「現在は、このダイヤファイトの性質を調べながら、光と原子操作を組み合わせた微細加工にも挑戦しています。この技術が実現すれば、電子回路のようにダイヤファイトを原子レベルで精密に配置できるようになります。こうした研究を通じて、ダイヤファイトの隠れた特性を見出すだけでなく、それらを複合的に組み合わせた機能も探索し、デバイスに応用していきたいです」
複数の原子が集まったナノクラスターは、構成する原子の数に応じて劇的に性質が変化することが知られている。稲見教授らは、このナノクラスターのサイズを単原子レベルで精密に変化させることで、秘められた特性を引き出そうと地道に実験を重ねる中、ある大きな発見に至ったという。
「SPMの針で鉛原子を一つひとつ並べてみたところ、3つを密着させて並べた時に微小な電流を流すと、原子の位置がずれては戻る現象が起こることを発見しました。つまり、鉛原子3つからなるクラスターは室温の状態でスイッチとして機能することがわかったのです」
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これを高密度に並べてスイッチングさせる方法を見出すことができれば、超高性能なコンピュータやデバイスの開発につながりそうだ。
さらにここ最近、特に精力的に取り組んでいるのが、SPMをベースとした新たな装置開発だ。SPMはスイスのIBMチューリッヒ研究所で開発されてから40年以上が経過し、微細加工技術の進化に合わせた性能向上が求められている。そこで稲見教授らは、パルス電圧法を活用した顕微鏡技術を考案。パルス電圧とは、急激に立ち上がり短い継続時間で急激に降下するような電圧波形のこと。このようなパルスの列を試料に印加させながら表面を観察するという独自の技術の開発を進めている。
「この新たな技術によって、二つの原子がくっついて分子になるプロセスをさらに詳細に観察できるようになるだけでなく、物質から電子を取り出すために必要な最小のエネルギーである『仕事関数』を精密に計測することも可能になります」
微細加工技術のさらなる進展に貢献し得る技術革新に期待が高まる。
材料の解析、加工、装置開発とあらゆる手法を操りながら、原子スケールのものづくりに取り組む稲見教授が、ミクロな世界に興味を抱くようになったのは中学生の頃だった。
「理科の授業中に『原子の構造』として示された、丸い球体がいくつかくっついた図を見てから、"なぜ目に見えないのにこうなってるってわかるの?"と不思議で仕方なかったんです」
大学は理学部に進学。X線解析などの方法で材料の構造を解析することを通して、原子の構造自体は頭で理解できたものの、「直接この目で見たい」という思いは募るばかりだった。そしてついに、念願が叶う時が訪れた。
「修士の時に、ある先生から"原子が整然と並んでいる画像"を見せてもらったんです。それがとてもリアルでびっくりして。"ほんとに原子って見えるの!?"とすごく興奮しました。これがSPMでイメージングされた画像で、この顕微鏡を使えば面白い研究ができそうだなと、俄然興味が湧いたんです」
学部では宇宙物理学、修士では光物性を専門としていたが、この出来事をきっかけにSPMによる原子操作の道へ。それ以降、SPMを武器にミクロからマクロまで幅広い研究テーマに取り組んできた。そして、これまでの経験を包括して独自の研究に取り組みたいと、2018年に本学に着任した。
「これまで様々な大学の研究室に所属し、SPM、光物性、表面科学を横断しながら研究を行ってきました。本学ではこの3つを組み合わせて、新しい分野を先駆的に切り拓きたいという思いで研究を進めているところです」
現在は、他大学と共同で先端的な研究に取り組む一方、学内では情報系の教員とともに、原子の構造から材料の性質を予測する理論計算にAIを導入し、より高速かつ高精度に様々な機能を予測するための技術開発にも着手している。そうした気概の根底には、「原子を自在に組み合わせてこれまでにないデバイスをつくりたい」という一貫した目標がある。
「極限まで小さくしたものには"量子現象"という特異な性質が現れることがあり、例えば、超高速で計算ができる量子コンピュータとして応用が進められています。つまり、今あるものの性能を今の原理のまま向上させるのではなく、これまでにない"新しい原理"で劇的に変えることができる、それがナノテクノロジーなのです。原子スケールのものづくりこそ、革新的なデバイスを実現する一番の近道だと確信しています」
掲載日:2025年1月/取材日:2024年11月
]]> 自然界には、様々なスケールで集団による秩序構造が現れる。例えば、水の温度を徐々に下げていくと、ランダムに並んでいた分子が規則正しく並び始めて氷になる。たくさんの星が集まって銀河になると、星単体では見せない秩序だった運動をするようになる。「金属が電気を流す、磁石になるというのも集団の力が関わっています。さらに人間の細胞も、集団になると秩序が現れることが確認されています」
巨大な宇宙から極微細な原子まで、集団によって現れる現象の不思議を精緻に解明するためには、目に見えないミクロな世界を理解することが重要だ。小林准教授は、コンピュータシミュレーションと数学を駆使して、謎の多いミクロな世界で起こっていることを可視化することによって、未解明の問題に切り込んできた。
「じつは、原子や電子などの小さな世界だけでなく、極限まで冷やされた世界も量子力学に支配されています」という小林准教授。自然界の最低温度とされる-273.15℃。この絶対零度に近い極低温の液体・気体である「量子流体」は、量子力学による振る舞いがマクロなスケールに現れるのだ。「極低温のもとでは、液体や気体の粘性、つまり流れを妨げるような力がゼロになります。例えば、あらゆる物質のうち、唯一凍らない液体ヘリウムは量子流体のひとつで、一旦流れると永久に流れ続ける超流動現象が現れます。これと同様の現象として、金属などの固体で現れる超伝導では、固体の内部が量子流体になっているのです」
私たちの身の回りにある普通の流体と同じように、量子流体をぐるっとかき回すと、渦が生じる。ところが、量子流体の渦の形や構造は、普通の流体のそれとはまったく異なるのだという。
「例えば、水を手でかき回すと一本の太い渦ができ、回すスピードが増すにつれて渦はどんどん太くなる。ところが、量子流体中の渦は細い紐状の構造で、小さな渦がたくさん集まることで大きな渦になります。つまり、高速で回すと細い渦が無数に生まれ、最終的には格子状に規則正しく並ぶということが起こるのです」
このように不思議な挙動を示す量子流体中の渦が、近年注目されている。それは約500年前、レオナルド・ダ・ヴィンチが残した「乱流」のスケッチと「乱流と渦の関係性」を記したメッセージに起因している。
台風による暴風や竜巻、増水した河川の流れなど、自然界には様々な流れがあるが、この流れの多くは複雑に乱れた乱流だ。乱流の発生メカニズムや特徴について、あらゆる分野で多くの研究が進められてきたが、十分に解明されてこなかった。
「例えば、天気の予測が難しいのは、乱流である大気の流れを予測することが難しいからです。ただランダムに流れているだけなのか、複雑ななかに何か法則性はあるのか。乱流は、物理学において解明が困難な問題のひとつとされています」
乱流を理解する鍵を握っているのが渦である。そのことにいち早く言及したのが、ダ・ヴィンチだ。彼は生前、乱流のスケッチを描くとともに、「乱流は大小様々な渦とそれらの階層構造によって構成されている」というメッセージを残した。小林准教授らは、このダ・ヴィンチの構想を、量子流体を用いることで解明できないかと研究を進めてきた。
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「自然界に存在する渦は、パッと現れたかと思えばいつの間にか消えてしまうので、どこにあるのかを明確に示すことができません。一方、量子流体では、渦の太さが一定でいきなり消えることができない。つまり、量子渦は目に見えるので、乱流中の渦を確認できるのではないかと考えました」
実際にシミュレーションをしてみたところ、量子流体中で乱流をつくると、流れがどれだけ複雑になろうとも、渦の動きやその位置をはっきりと確認することができた。すなわち、世界で初めて量子流体による乱流のシミュレーションに成功し、量子流体では渦が明確な形で存在していること、その渦が乱流を形成していることを明らかにした。さらに、普通の乱流と量子乱流がほぼ同類であることも見出し、量子乱流が乱流の謎の解明に貢献できる可能性を示した。
「一連の研究を通して、ダ・ヴィンチのメッセージは"量子流体がつくる量子乱流"のなかにこそ、リアルに存在していることを明らかにしました。量子力学は固体の謎の多くを解き明かし、近代科学の基礎となりました。次は量子乱流の研究が、乱流を解明する突破口になるかもしれません」
じつは昨今、量子流体ではないかと期待されている天体があるという。それが「中性子星」だ。質量は太陽と同程度あるにもかかわらず、半径はわずか数10kmほど。内部には、原子を構成している素粒子のうちのひとつ、中性子がぎっしり詰まっていて、極めて密度が高いことが特徴だ。中性子星では、ごく短時間に電波が放出される謎の現象が起きていることが確認されている。内部が量子流体であるならば、量子力学による振る舞いがこの謎の現象とどのように関係しているのか。そんな疑問のもと、小林准教授は中性子星をテーマとした研究にも新たに取り組んでいる。
「中性子星で生成されるであろう量子渦の構造を調べるため、シミュレーションをしてみました。すると、地球上でできる量子渦とはまったく異なり、中性子星では量子渦が増えると紐のように絡まり続け、飽和状態になるとすべての渦を外部に放出することが見えてきました。この運動が不思議な電波の信号に関係しているんじゃないかということもわかってきたのです」
流体の常識とはかけ離れた振る舞いを示す量子流体。小林准教授がこの分野に出会い、研究を続けてきたのは、母校である大阪市立大学の環境が大きかったという。
「当時から大阪市立大学は量子流体力学の研究が盛んで、量子流体の実験に関するノウハウと技術をもっているのは全国で唯一ここだけでした。また星がたくさん集まって銀河ができるといった、多くのものが集まることで初めて起こる現象に元々興味があり、原子や電子の集合である量子の世界を理解したいという思いもありました。ならば稀有な環境を生かして、量子流体の研究をやってみようとこの世界に飛び込んだのが始まりです」
複雑な数学が必要になる量子流体のシミュレーションは、数学好きな小林准教授にとって挑戦しがいがあり、「見えない世界を可視化できるところに研究の面白さを見出してきました」という。これからは、工科系という本学の特徴を生かして、応用研究にも力を入れていきたいそうだ。
「現在、フランスの研究チームとリニアモーターカーの電気効率のシミュレーションを行う研究を進めています。今後は実験も取り入れながら、このような実社会に貢献できる応用研究へとシフトしていきたい。それには、高知という場所が重要な意味をもってきます。というのも、量子流体の実験の拠点として、高知の山間部のような周囲に人工物の少ない環境が非常に適しているんです。将来的には、実験に取り組んでいる全国の研究者を高知に呼び集めて、新たな実験の拠点をつくりたいですね」
掲載日:2024年10月/取材日:2024年7月
]]> データを起点にイノベーションを起こし、高知で世界の課題解決に貢献するーーこれはデータ&イノベーション(D&I)学群が掲げるビジョンである。このビジョンを具現化していくための立役者の一人として期待されているのが、佐伯准教授だ。
本学情報学群の卒業生(4期生)でもある佐伯准教授が一貫した研究指針として掲げているのが、人口減少や少子高齢化に端を発する社会課題に情報技術やソフトウェアからアプローチすること。目下取り組んでいるテーマのひとつが、在宅の高齢者の孤立を防ぐために遠隔で認知症の診断や日々のケアを行えるシステムの研究開発だ。
認知症患者の増加と医療従事者の不足が深刻化する中、認知症の早期発見は高い治療効果を期待できることから重要視されている。認知症スクリーニング検査として、10時10分の丸時計を描く時計描画検査や立方体を描き写す立方体模写検査がよく利用されているが、一般的にこれらの検査では医療従事者が描画の完成形だけを見て採点や診断が行われてきた。一方、描き上げるまでの思考時間や描き順など"描画過程"の情報も認知機能に関わっていることが明らかになっており、描画過程を利用した新たな採点法や診断法の開発を望む声があがっている。
そこでまず、佐伯准教授の研究チームは描画検査において描き順や思考時間、筆圧、速度などの描画過程も含めて可視化する手法を提案した。
「手の震えは認知症と大きな関わりがあり、医療従事者は描画中の手の動きから何らかの異変を感じることができます。そのため描画中に描き直した回数、描くスピードや筆圧、描くのに苦戦した箇所とスムーズにかけた箇所などあらゆる情報を記録し、どのような順番でどのように描いていったのかを閲覧できる環境を構築しました」
さらに、描画検査の実施から描画過程の情報を含んだ検査結果の閲覧、診断までを一貫して行えるシステムを考案。試作したシステムを用いて医療現場、介護施設、一般家庭を対象に検証した結果、実際の運用が可能であることを示した。
「このシステムを使えば、近隣に医療機関がない中山間地域の高齢者でも自宅で日常的に認知機能検査を行うことができ、送信された結果から医療従事者の診断を受けることが可能になります。双方にとって大幅な負担軽減はもちろん、認知症の早期発見にもつながります」
このシステムは検査から診断までを一貫して行えるツールであるだけでなく、これまでになかった描画検査のデジタルデータを収集するための基盤でもある。
「あらゆる面での拡張性を重視して設計・実装しているので、様々な描画検査に対して描画データの収集を加速させることも期待できます。今後はこのシステムを用いてより多くのデータを収集し、描画検査の発展に貢献していきたいです」
デジタル化が進む中、国や自治体がICTを駆使して収集した多種多様なデータを施策やまちづくりに役立てようとする動きが活発化している。佐伯准教授らは神戸市消防局の協力を得て、蓄積された消防や救急の出動に関するビッグデータを活用し、持続可能な消防・救急事業の実現をめざす研究にも取り組んでいる。
「消防や救急の出動データは、救急・消防の需要予測やリソース運用の最適化など、データ駆動アプローチへの活用が期待されているのです」
自治体の消防局が地域内のどこに何か所の消防署を設置し、各消防署に車両を何台配置するかという構成を決定することは、迅速かつ効率的な消火活動の鍵と言える。財政状況が厳しい中、限られたリソースでいかに効率の良い構成を求めるかが重要になる。そこで、消防局の編成が市内の各町丁目からの要請をどれだけ満たせるのかを把握するために、消防局の構成の分析・シミュレーションを支援するツールを提案。消防局の構成データと町丁目データから、各町丁目で火災が発生したときにどの車両が何秒で駆けつけるかを自動計算し、結果を地図上に可視化するとともに、様々な要求のもとで消防局の最適な配置を自動計算することも可能にした。
続いて、救急医療のひっ迫の要因のひとつである熱中症に対する救急出動データの分析にも着手。将来を見据えた持続可能な熱中症対策の立案をめざし、過去の気象データと救急出動データから熱中症搬送者数を予測するモデルを構築した。そして、その予測モデルと週間天気予報のデータを組み合わせて、直近一週間の熱中症搬送者数の予測を提示するアプリケーションも開発した。
さらに効率的な救急現場を実現するために中長期的な救急搬送件数を予測するモデルも提案し、このモデルの確立に向けた研究を進めているところだ。
「大事なのは僕たちが分析して結果を提示することではなく、ソフトウェア化することによって消防局の皆さんが自分たちであらゆる状況を想定したシミュレーションができるようにすることです。僕たちが開発したシミュレーションを支援するシステムは神戸市消防局で実際に使われており、そこから見出された結果は、中長期的な神戸市の消防行政のあり方を検討するためのデータとして活用されています」

データ&イノベーション学群では、実社会にある課題の解決に取り組むPBL(Problem/Project Based Learning)が重要な教育の柱となる。PBLの授業の中で、学生たちは高知県内の自治体や企業などと連携しながら課題を発見して解決策を考え、デジタル化から社会実装につなげるDXのプロセスを学んでいく。
日本で実践教育の重要性が広く認知され、全国の大学でPBLが導入され始めたのは、2006年、経済産業省が「多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」として「社会人基礎力」を提唱したことが背景にある。そして2008年、文部科学省が成長分野を支える情報技術人材の育成に向け、実践教育を広く普及させる拠点の形成を進めるプロジェクトをスタート。当時、本学の博士後期課程を修了して間もない佐伯准教授が、縁あってこのプロジェクトに本学の助手として参画した。それ以来、2021年までの13年間にわたりPBLという学習方法に授業改善や評価手法といった側面から関わってきた。つまり、佐伯准教授は日本の大学でPBLの実践が開始した当初から、PBLのあり方を最前線で追究してきた研究者の一人と言える。
データ&イノベーション学群ではこれまでの知見を生かし、自身の研究だけでなく、PBLのカリキュラム設計や学生への指導、PBLに対する理解を促すための学内への周知活動など幅広い役割を担っていく。これにも、「僕は自分のことを"なんでも屋さん"と思っているんです」と軽やかな笑みを浮かべる。2013年に本学から神戸大学へ転任したものの「いつかは教員として工科大に戻ってきたい」という思いは持ち続けていたという佐伯准教授。偶然にも今後の方向性を考えるタイミングで、データ&イノベーション学群の教員公募の存在を知ったことが古巣に戻ってくるきっかけとなった。
「課題先進県の高知県は、まさにソフトウェアで社会課題を解決するという研究とすごく相性がいい。できることはたくさんあると常々思っているので、企業や自治体の皆さんと一緒にどんどん進めていきたいです。僕が入学した当時、本学は"これから新しいことをやっていこう"という空気感に満ちていました。データ&イノベーション学群ではその頃の勢いさながらに、学生たちの新しいチャレンジをどんどん後押ししていきたい。失敗を恐れず、やりたいことに全力で取り組んでもらえるような環境を学群をあげてつくっていきたいと思います」

掲載日:2024年5月/取材日:2024年3月
]]>「消費文化理論(Consumer Culture Theory)」とは、モノやサービスにまつわる文化的側面をもつ消費者の行為と、それに関わる現象について、それらが生じるメカニズムを明らかにして理論化しようとする研究領域だ。消費者行動論の領域のひとつとして、2005年に米国の研究者によって名付けられ、2010年、朝岡講師の恩師である一橋大学の松井 剛教授によって日本で初めて紹介された、歴史の浅い学問分野といえる。
例えば、近年、日本でハロウインを祝う文化が浸透し、仮装した若者たちが集まり大騒ぎするという現象が生まれている。これも、心理学だけでは解明できない市場や文化を背景にした消費者行動のひとつだ。
「消費者行動論の中で、心理学的要因に還元できない消費者の行動について、各種メディアやインタビューなどの定性的な情報をもとに、市場や文化との相互作用にフォーカスし、理解しようとするところが消費文化理論の特徴です」
消費文化理論が日本で動き出す黎明期から、いち早く研究に取り組んできた朝岡講師。新しい研究領域に自ら足を踏み入れたのはなぜだろう。
「もともと音楽が好きで、バンド活動をしていましたし、漫画やゲームなどのカルチャー全般に興味がありました。マーケティング分野の中でも、自分の好きな"カルチャー"をテーマとして扱えることに面白みを感じたんです」
朝岡講師が博士課程入学後の2015年から現在も研究を続けているテーマが、「渋谷系」音楽だ。渋谷系は、日本で1990年代に流行した音楽ジャンルであり、代表的なミュージシャンとしてピチカートファイブ、オリジナルラブ、フリッパーズギターなどが挙げられる。音楽好きの朝岡講師が渋谷系をテーマに選んだのは、「ひとつの音楽ジャンルがどのようにして形成されるのか」という素朴な疑問が発端だった。
「私たちが日常的に使っているモノの分類やカテゴリーは、文化や社会に依存しています。例えば、スマートフォンが市場に投入された時、従来の携帯電話は"ガラケー"と呼ばれるようになり、携帯電話に二つの分類が生み出されました。ならば、音楽ジャンルは社会や文化の中でどのように生み出されるのだろうか、という疑問が浮かんできたのです」
朝岡講師は、まず先行研究を整理する中で、新たなカテゴリーのアイデアがいかにして生まれ、いかにして世の中に広まり、そのようなカテゴリーの使用がいかにして衰退していくのか、という3つの視点が未解明であると考えた。そこから、渋谷系の形成~普及~衰退のプロセスを、渋谷系という言葉に基づいて行われたコミュニケーションとその社会・歴史的文脈に注目して分析を行った。分析に使用したのは、1000件近くの雑誌記事を中心に、100件の新聞記事、渋谷系と呼ばれることになる音楽の場に関わっていた関係者やファンに対して自ら行ったインタビューなど、膨大なデータだ。
様々なデータを見ていく中で、渋谷系という言葉が登場する以前に、のちに渋谷系と呼ばれるミュージシャンを好んでいた人たちが集まるコミュニティがあり、東京のレコード店やクラブなどの場を通して、彼らが独自の趣味や価値観を構築していったことを突き止めた。
そして、このコミュニティで生まれた共通認識が世の中に広まる発端となったのは、HMV渋谷店の邦楽担当スタッフがそのコミュニティに自ら入り、そこに集まる人々の視点を把握したうえで、渋谷系と呼ばれるようになる音楽を集めた売り場をつくったことだ。1993年、「この独自の売り場にまとめられた音楽の売上が、全国チャートの動きとは全く異なる」ことにメディアが注目。渋谷系という言葉を用いて取り上げるようになったことから、新しい音楽ジャンルとして広く認識されるようになったことを示した。
さらに90年代後半、渋谷系が衰退していったのは、渋谷系という言葉が渋谷の街で起こる現象を指す文脈で用いられるようになり、音楽ジャンルとしての影響力が低下したことが要因であると指摘した。
「これまで経営学や社会学のカテゴリー研究は、企業が作り出す"新製品ありき"のテーマがメインでした。これに対して、『企業が新製品の投入をしなくても、カテゴリーが生まれることはあるんじゃないか』という思いをずっと抱いていました。そして渋谷系をテーマに研究を進めた結果、一定の価値観に基づいた分類が出現することによってもカテゴリーが生まれること、また、新たなカテゴリーのアイデアが消費者のコミュニティの中で生まれる可能性についても明らかにすることができました」
この研究で紐解いてきた市場カテゴリーのダイナミクスは、企業のマーケティング活動に示唆を与えるものとなりそうだ。 「渋谷系の代表例だったミュージシャンは、邦楽のカテゴリーではあまり目立っていなかったものの、渋谷系の視点から見ると、そのカテゴリの代表として存在感が際立っていました。つまり、既存の市場ではシェアの高くない製品でも、世間の注目を集めるために、その製品がトップになれるカテゴリーを生み出すという方法もある。この新たな視点を示したことは、ひとつの成果といえると思います」
渋谷系音楽は衰退の一途を辿ったものの、2000年代以降、再びメディアに取り上げられるようになり、近年、音楽ジャンル名として使用されることが増えてきている。このように衰退したカテゴリーが再出現し、存続するのはなぜなのか。さらなる分析の結果、渋谷系は 「90年代」という時代と結びついたカテゴリーとして再出現していること、渋谷系という過去の現象を解釈するために「現在の文化に影響を与えた」「意味が曖昧な言葉である」という2つの枠組みが用いられた点が 大きく影響を与えていることを見出し、こうした現象が生じるメカニズムを明らかにした。
ここまで、渋谷系音楽を追究してきた朝岡講師だが、渋谷系研究の論点はまだまだ尽きることがないようだ。 「現代はブログやSNSでも渋谷系に関する語りがたくさん存在しています。それらのテキストを収集し、現代では渋谷系という概念がいかにとらえられているのか、また、消費者のリアルな声がカテゴリー存続の一翼を担っているのかを探っていきたいと思っています」
近年、企業のマーケティング活動における炎上問題が度々メディアで取り沙汰されている。これは消費者の"文脈"を理解していないことが一因といえる。企業と消費者のコミュニケーションが重視される時代に、理論的レンズを通して消費者の文脈を観察し、理解する消費文化理論から生まれる知見は、企業の現場からますます求められるだろう。
「消費者行動をより広範囲から深く理解するためには、心理学的・計量経済学的なアプローチと補完し合うことが重要です。今後は分野を融合して様々なテーマに取り組み、実務に貢献できるような成果を生み出していきたいですね」
朝岡講師は、消費文化理論の未来を担う若手研究者として、消費者の文脈を読み解く手法を日本に根付かせるべく、自らの研究と、研究領域の発展に向けた取り組みの両面から研究活動を展開していく。
掲載日:2024年1月/取材日:2023年11月
]]> 光物性、電気伝導性、磁性など多様な機能をもつ分子結晶は、次世代のフォトニクス・エレクトロニクスを実現するキーマテリアルだ。しかし、分子結晶は分子が集まった稠密かつ異方性の構造のため、高性能化が期待できるが、柔軟性がないことから脆く壊れやすい。柔らかい結晶を自在に設計することができれば、材料分野に新しい風を送り込むことができるのではないか。そう考えた林准教授は、分子結晶の中でも特に機能性に優れたπ共役系分子を用いて分子構造から結晶設計を行い、稠密性・異方性・柔軟性をもつ「柔軟性分子結晶」を創製。さらに、この結晶が自ら発光する性質をもち、屈曲によって発光変化が起こることも見出した。
「当初は、この柔軟性分子結晶を電子の流れをコントロールするトランジスタに使えたら面白いだろうと考えていました。ところが、研究を進めるうちに、柔軟性に加え、変形によって発光が変化するという機能が現れたのです。そこから、新しい応用展開を考え始めるようになりました」
林准教授にとって、これらの発見はまさに好機到来。柔軟性分子結晶の弾性変形機能と発光特性を生かし、フレキシブルな光導波路や光共振器への応用に目下力を注いでいる。
小型の光通信デバイスを実現するためには、導波路自体の発光を利用することから光源との接触と角度調整が不要な「自発光型」の光導波路の開発が重要だ。しかし、従来の自発光型は柔軟性や強度に乏しいうえ、物質の光吸収帯と発光帯が重なる際に、発光を自ら吸収してしまうため、光輸送効率が低いことが課題だった。
これに対して、林准教授らは、柔軟性分子結晶を用いることで、柔軟で高効率な自発光型光導波路の開発をめざしてきた。「光の輸送効率をいかに高めるか、その方策を考えた末に行き着いたのが、"異物を入れる"ことでした」。その発想のもと、柔軟性分子結晶に異なる発光性分子を1~5%の割合で添加したところ、分子間でエネルギー移動が起こり、その結果、導波光の自己吸収が大きく抑制され、従来の結晶と比べて15倍以上に光輸送機能が向上することが明らかになった。この成果により、これまで困難だった自発型光導波システムが確立に向けて大きく前進するとともに、より効率的な光通信デバイスの実現に向けた具体的な開発の進展が期待されている。
光は一旦放出されると拡散する性質をもち、光を自在に制御するためには微小領域へいかに強く閉じ込めるかが重要になる。光を一定時間閉じ込められる構造をもつ超小型の「光共振器」は、閉じ込めた光で信号処理を行うことから省エネルギー化を可能にする機器として、レーザー発振をはじめとした、様々なデバイスに応用されている。林准教授らは、柔軟性分子結晶を用いて高性能で極微小な光共振器の開発にも取り組んでいる。
入射した光を空間内に閉じ込め、内部で往復・周回させることで信号増幅し、特定の定常波を生じて特徴的な光が放出される。これが光共振器の原理だ。光共振器には様々な種類があるが、最も代表的なものが、平行に設置した2枚の鏡の間を光が往復することで共振させるファブリ・ペローモード共振器だ。多数の分子の規則正しい配列からなる分子結晶は平行の形をとりやすい。そこで、様々な柔軟性分子結晶を試作し、結晶の湾曲変形による蛍光スペクトルの変化を測定した結果、共振モードに由来するパターンを発見。柔軟性分子結晶によるファブリ・ペローモード共振器の開発に成功した。
このほか、柔軟性分子結晶をリング状に加工することで、閉じ込めた光が全反射しながらループし続けるリング共振器も作製するなど、柔軟性を生かした多様な形状の光共振器の開発が進められている。
さらには、シリカで合成した5μほどの極微小な球体に発光性の高分子溶液を塗布するだけの簡便な調整により、発光性をもつ有機無機ハイブリッド球体を創製。これに光を照射して閉じ込め、蛍光スペクトルの変化を測定した結果、周期的に鋭い発光バンドが現れ、球体内部で光共振が生じていることを見出した。つまり、この球体が、リング共振器の一種であるWhispering Gallery Mode(WGM)共振器になることを示したといえる。
「WGMとは、光が円形の壁に沿って周回するモードのこと。例えば、大きな円形ドームの中で声を出すと、音の波が壁を伝って反対側にいる人にまで聞こえます。この現象と同じ原理であるWGMモードは、光が球体の表面付近を周回し強く共振するので、発振する光は鋭くなり、光出力の向上や光検出の高感度化につながると期待されています」
林准教授はこの発光性有機無機ハイブリッド球体を様々な基盤に塗布し、大面積化することで、応用範囲は大きく広がると考えている。
「この球体から発振されるコヒーレント光源を用いることで、高出力の小型RGB光源が実現できるので、レーザディスプレイや光ディスク装置などへの応用が考えられます。さらに高精度な化学センサーとしての展開も大いに期待できます。いま私が考えているのは、iPhoneのチップにこの球体を多数集積し、人の呼気から健康を判断するセンサーを実現できないかということ。簡便な製造方法によりポテンシャルを秘めた新しい材料シーズの誕生といえるでしょう」
共振器は、レーザー発振器の重要な構成要素としても用いられている。林准教授は「光共振器の研究開発を、レーザーの展開にまで発展させたい」との思いもあるという。
「レーザー光は直進して進み、減衰しにくいことから、遠方から情報を伝えるレーザー通信として利用されています。極微小な光共振器を集積して大面積化することで、容易にエネルギーを活用できない宇宙空間で太陽光を一箇所に集めて、地上への信号送信に使えるようなレーザー発振器の開発をめざしたいと思っています」
また現在、主に使われている無機系のレーザー媒体を有機系に変えることができれば、コストやエネルギーの面で非常に有利になる。
「弱い光をたくさん集めてレーザー光に変換する、超省エネルギーなレーザー発振器の開発を、有機物を使って行うところに将来性を感じています。というのも、有機物は無機物に比べて構造に多様性がある一方で、これまで応用科学で使われるのは単一の分子のみにとどまっていました。ところが近年、有機化学と物理学の融合が進みつつあり、多様性を生かせる土壌が整ってきたのです。そこに、我々がアクセスすることで、新しい材料が生まれる可能性は大いに高まると思っています」
このような機運もあり、最近は応用物理学会やレーザー学会にも参加し、積極的に他分野との交流を図るよう努めているそうだ。
またそれ以前から、林准教授の研究室では、発現させたい機能から分子の構造を設計して合成し、多くの分子が配列した結晶構造の設計方法を考え、現れた特性を評価するだけでなく、自ら開発した材料を用いた応用までも一気通貫で行ってきた。分野を横断した研究スタイルを貫く林准教授の研究室からは、ここ数年の間に画期的な研究成果が続々と発表されており、その多くが国内外の学術誌などで取り上げられるなど注目を集めている。このような躍進の原動力はどこにあるのだろうか。
「私が分野を横断して研究してきたのは、"ただ楽しいから"なんです。ある新しい物質をつくったときにそこで満足せず、その物質をあらゆる角度から見て、未知のことをどんどん追究していく、それこそが研究のモチベーションになっています。高知工科大学は、研究において他分野と交流しやすく、分野横断型の共同研究がしやすい土壌があります。そんな研究環境は、自分にとって確実にプラスになっていると思います」
林准教授が研究人生をかけた最大の目標は、分子の設計からデバイスの応用開発へとつなげていく道筋を体系的にまとめ、材料科学の枠を超えた新しい学術領域を確立すること。今後も斬新な発想力と着実な実践力で、その実現へと突き進んでいく。
掲載日:2023年12月/取材日:2023年10月
]]> 学生時代は物理学を専門とし、コンピュータ上で理論のシミュレーションに励んでいたという池上特任教授。その当時、表面化学の分野でノーベル賞を受賞した画期的な技術が実用化され、表面の電子状態をつぶさに観察できる顕微鏡が登場した。そのことを知った池上特任教授は、「この顕微鏡を使えば、苦労して計算しなくても一瞬で電子の動きが見える」ことに衝撃を受け、大学院では一転、表面科学の研究に取り組んだ。博士課程修了後は株式会社東芝に入社し、レーザーを用いた半導体デバイスの製造技術の開発を担い、半導体製造における様々なプロセスに携わった。
「レーザープロセスは、材料の表面に瞬時的かつ局所的に非常に高い熱を与えることで、従来の熱処理技術では成し得ない新たな物性を引き出し、材料の価値を高めることが可能になります。東芝でレーザーを研究し始めた当初、レーザーは夢の光だと思いました」
レーザーの可能性に魅せられた池上特任教授は、その後、地元の高知に戻り、高知工業高等専門学校の准教授として教育に携わるようになってからも、東芝時代に共同研究を行っていた企業の協力を得て、研究活動を継続してきた。「自分のシーズを大切に育てるというよりも、それらをコアにして、様々な人や企業と連携しながら産学連携中心の研究活動を一貫して行ってきました」と自らの研究スタイルについて語る。
池上特任教授の研究人生においてひとつの転機となったのが、2019年、これまでの実績と経験から東京大学より声がかかり、当時所属していた九州大学のメンバーの一人として、内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「光量子を活用したSociety5.0実現化技術」に参画したことだった。仮想空間と現実空間を高度に融合させたサイバーフィジカルシステム(Cyber Physical System、以下CPS)により、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会であるSociety5.0。日本政府が提唱したこの社会構想の実現を加速させるために、国家プロジェクトとして展開されてきたのがこのプログラムだ。
日本の産業のうち、特に国際競争が激化し、DX化や脱炭素化への対応など取り組むべき課題が山積しているのが、「ものづくり大国」日本が誇る製造業だ。SIPでは、製造業の産業競争力を強化するために欠かせないCPSの基盤を構築するうえで、ボトルネックとなっている要素技術の確立をめざし、日本の強みである「レーザー加工」「光・量子通信」「光電子情報処理」の3つの技術的課題に挑んできた。そのうち、池上特任教授らは、レーザー加工において需要が高まる半導体材料のレーザー改質プロセスのCPS化に取り組んだ。
「複雑な物理現象を伴うレーザー加工は、数ある製造技術の中でCPS化が最も困難とされています。そのため、レーザー加工にCPSを導入し、メリットをもたらすことを実証できれば、他の製造技術への波及効果は大きく、多くの技術分野でスマート製造が可能であることを証明できるのです」
半導体デバイスは、製作~機能測定~品質評価という一連の開発工程に通常2週間もの期間を要する。このプロセスにAIを導入し、レーザーによる材料改質加工後に光学顕微鏡で観察した像を収集、それらをAIに学習させて解析することで、Si薄膜トランジスタの品質推定を瞬時に行うことが可能となった。これにより、開発にかかるリードタイムを9割削減できることを実証し、製造業におけるAIの新たな活用方法を示した。
さらに2021年より半導体産業の発展に向けて、九州大学を中心に、CPS化を推進するための拠点形成にも取り組み、国内外の半導体関連企業や大学、研究機関との連携を実現。CPS型製造技術の社会への波及を加速するための課題を抽出し、解決策を包括的に提示する拠点の形成に尽力した。日本の製造業の競争力強化に向けた社会実装をめざす準備を整えたとも言えよう。
SIPプロジェクトへの参画を通して、「研究シーズを社会実装につなげることの難しさを改めて痛感した」という池上特任教授。2023年4月、再び高知に戻り、これらのプロジェクトで培った経験やネットワークを自らの財産として、本学を拠点に光・量子を活用した「産学官の共創による社会実装拠点」の構築をめざす新たな活動を展開している。
「本学には半導体分野で著名な先生が多く、研究環境も整っており、特に酸化物半導体の研究実績と研究環境は、世界トップクラスを誇ります。このような本学の研究資源を活かすことで、これまで九州大学や東京大学と共同で行ってきた拠点づくりをさらに加速させていきたいと思っています」
これまで日本には、製造業の競争力強化に寄与する可能性を秘めているが、事業化に至らない技術開発の成果が数多く存在した。こうした状況が生まれる要因は、大学・研究機関がやりたい研究と企業側のニーズをつなぐ橋渡し役がいないことにある。このような研究成果の社会実装を阻む「ダーウィンの海」を渡り切るため、大学や研究機関と多様な課題を抱える企業をつなげて、橋渡しするエコシステムを形成しようとしている。
この取り組みにおいて、池上特任教授が目標としているのが、産学の橋渡しを行う公的な応用研究機関であり、ドイツのイノベーション・エコシステムとして機能している「フラウンホーファー研究機構」だ。同研究機構はドイツ国内の中堅中小企業に対してきめ細かな研究開発サービスを提供することにより、「世界的なグローバル・ニッチ企業」に成長するための技術的基盤となっているほか、大企業との新製品開発においても重要な役割を果たしている。
池上特任教授は、フラウンホーファー研究機構にならい、ダーウィンの海を越えるための拠点づくりを行ううえで、3つの基本方針を掲げた。1つ目が、ユーザー、システム化(装置メーカー)、要素技術(サプライヤー企業)が連携し、ネットワーク全体で価値のある商品やサービスを提供するエコシステムを構築すること、2つ目が、資金調達のうち民間企業からの資金獲得を重視すること、3つ目は、新技術の育成において、企業、大学、研究機関がオープンイノベーションを推進すること。各分野の企業とコミュニケーションを図りながら、本学の研究シーズと企業のニーズをマッチングし、新たな社会実装を創出する活動を進める中で、早くも複数の開発テーマが動き出しているという。
「株式会社デンケン(大分県由布市)から、『レーザー加工機を用いた新事業を立ち上げたい』との要望を受け、レーザー光源メーカーや光学素子メーカーなどのサプライヤー企業と連携し、新規ニーズの開拓をしながら新たなものづくりをスタートしています。また、レーザー光源メーカーの精電舎電子工業株式会社(東京都荒川区)やランプメーカーの岩崎電気株式会社(東京都中央区)の技術と本学の研究シーズを組み合わせた新しいテーマの創出も進めています。さらには、株式会社タマリ工業(愛知県西尾市)、九州大学と連携し、電気自動車のモーターの小型化に向けて高品質な溶接を行うために、AIを搭載したレーザー溶接機の開発にも取り組んでいます。このように、拠点構築の活動を通して様々な研究課題に取り組み、半導体分野で本学ならではの特色や強みを打ち出していきたいと思っています」
また現在、高知県の食品関連企業と共同で、光を用いた発酵制御の研究開発も進めており、「半導体分野以外にも産業応用を展開していきたい」との思いも強くしている。
池上特任教授は、レーザー産業の現状をどのようにとらえ、どのようなスタンス、思いでこの取り組みを主導しているのだろうか。
「近年、レーザーの高出力化が急速に進み、私がレーザーに携わり始めた25年前と比べて性能が1000倍も向上したレーザー発振器が登場するなど、産業応用の基盤が整ってきました。レーザー産業の成長率は右肩上がりで伸長し、産業応用において非常に価値ある分野へと変化しつつあります。そんな状況にある今、レーザー分野の研究成果を社会実装へと導く橋渡し役の重要性はますます高まっています。そこで、まずは私がその役目を担い、実践してみることで、できることを実証し、"ダーウィンの海を越える"ことのメリットを広く知ってもらいたいのです。そして、こういう仕事もやり方も楽しい、ということを大学や研究機関の研究者の方々に伝えていきたいと思っています」
この取り組みの中で、本学の研究シーズと企業をマッチングし、企業から技術相談を受け、必要に応じて研究開発も担うなど、いくつもの役割を果たす池上特任教授。発する言葉の端々からは、この活動にかける並々ならぬ思いが感じられる。そして最後に、将来の展望について、こう語ってくれた。
「この先、日本が『ものづくり大国』を維持するためにも、ドイツのフラウンホーファーのような役割を担う機関は絶対に必要だと思っています。この活動を通して、自分が成功事例を示すことで何らかのブレイクスルーを生み、国を動かして、高知工科大学発のフラウンホーファー型の拠点構築を実現したいと思います」
掲載日:2023年12月/取材日:2023年10月
]]> 建築物の構造形式として、鉄筋コンクリート造(RC造)や鉄骨造(S造)は知っていても、RC造とS造を組み合わせた「鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)」は聞いたことがないという人は多いかもしれない。大正時代に日本で開発され、独自の発展を遂げてきたSRC造は、耐震性能に優れた建築構造のひとつとして大規模建築物や高層建物に採用されてきた。しかし、1990年代以降、設計・施工の煩雑さによる工期の長期化やコスト高が主な要因となり、建設棟数が激減。その一方、1995年に発生した兵庫県南部地震による建物被害調査の結果を見ると、SRC造の総合的な耐震性能は他の構造に比べて群を抜いていることが明らかになった。そこで、SRC造の高い耐震性を生かしつつ、より施工性に優れた建築構造として、2001年、鉄骨と繊維補強コンクリート(FRC)のみで構成される「鉄骨コンクリート(CES)構造」の研究開発が国内でスタートした。
「CES構造はSRC造から鉄筋を取っ払う代わりに、コンクリート中にビニロン繊維を投入して強度を高めたFRCを用いることで、鉄筋がもつ"コンクリートの落下を防ぐ働き"を代替しています。鉄骨にFRCを打ち込んだだけの簡単な構造なのでSRC造で必要となる複雑な鉄筋工事が不要となり、高い耐震性を担保しながら工期短縮や建設コストの低減が期待できるのです」
地震大国かつ労働人口不足が懸念される我が国に適した構造形式であるCES構造。鈴木准教授がこの研究に携わるようになったのは、修士1年の頃。学部時代からの恩師がC E S 構造の考案者だったことが縁となり、CES構造の実用化に向けた構造性能評価のための実験と解析に取り組むことになった。
それから13年後の2022年5月、鈴木准教授らが分担執筆した「鉄骨コンクリート(CES)造建物の性能評価型構造設計指針(案)・同解説」が日本建築学会から刊行された。これによって、CES構造の実用化に向けた確固たる道筋が示されたといえよう。
「この書籍の中で、私はCES構造における耐震壁の構造設計法と構造部材の解析モデルを解説しています。これらはCES構造の建物の設計に用いられる構造解析に必要不可欠なものです。次世代の構造設計者である学生たちにこそ読んでもらい、この書籍を通して建築構造の発展に貢献したいと思っています」
CES構造の今後の普及が期待される中、鈴木准教授はこれまで検証が不十分だった建物と基礎の境界にあたる「柱脚部」に着目。ひび割れから破壊に至るまでの力学性状を解析するとともに、構造性能の力学特性を用いた建築物の耐震性能の研究を目下進めている。
内蔵鉄骨を有するCES構造の柱脚形式には、鉄骨を基礎の構造に埋込むか埋込まないかの2種類がある。非埋込み型は埋込み型に比べて施工性に優れているが、耐震性は埋込み型よりもはるかに劣り、それぞれメリット・デメリットがある。
「建物の設計・施工は工期、コスト、耐震性など、あらゆる要素が複雑に絡み合って実施されます。そのため、我々研究者は、設計者が状況に応じて最善の選択ができるよう、あらゆる場面を想定し、様々な形式の性能評価を行うことで、幅広い選択肢を提示することが重要だと考えています」
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まずは埋込み型の試験体に地震動をイメージした力をかけ、ひび割れを観測する構造実験を行った結果、埋込みの深さが浅いほど、せん断力に対する抵抗力が低下すること、埋込んだ鉄骨を支えるベースプレートの有無によって抵抗力の大きさに差が出ることをそれぞれ確認し、CES構造における埋込み柱脚の構造性能を初めて明らかにした。
次に、非埋込み型においては、耐震性を向上させるため、ベースプレート下面に滑り止め補強を施した試験体を作製して構造実験を行った。その結果、滑り止め補強を行うことで、せん断力に対する抵抗力が上昇した一方で、試験体側面の基礎コンクリートの破壊が発生し、メリットだけでなくデメリットも生じることが確認できた。
鈴木准教授のように、耐震工学の分野で実験と解析の両面から研究を行う研究者は少なく、この点は自身の強みと自負しているという。「実験と解析の両面から研究することで、理論上の計算だけでなく、実験から地震動に対するコンクリートの力の流れや抵抗を実証することができ、これまで考えられていた想定を数値的に示すことができるのです」
柱脚部の各実験では破壊に耐えられる最大の力も観測し、CES構造の設計を行ううえで必要となる部材の耐力評価式の提案につなげていこうとしている。
鈴木准教授は、日本の耐震工学を前進させることをめざし、この研究以外にも数々のテーマに取り組んでいる。そのひとつが、地震による変形前後の高解像度の写真データを用いて建物全体に生じたコンクリートのひび割れを可視化し、損傷度を自動判定できる仕組みの構築だ。
「建物全体に生じた小さなひび割れを目視で観測することは手間と時間がかかり現実的ではありません。そこで、デジタル画像相関法(DIC)という手法を用いて自動判定できる仕組みをつくり、地震後に必要となる建物の安全性判断の飛躍的な効率化につなげたいと考えています」
鈴木准教授は、南海トラフ地震の被害が想定される静岡県出身。小学生の頃から定期的に防災訓練が実施されていたり、各自の椅子に防災頭巾がかけられていたりと、地域の特性から地震について考える機会が多かったという。また、畳屋を生業とする祖父に連れられて建築中の住宅を間近で見てきた経験も少なからず影響し、その後は地震と建築を掛け合わせた耐震設計の道を選んだ。これまでの研究活動を振り返り、「CES構造との出会いが自分の人生を形づくってきた」と語る。
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「CES構造は研究に取り組んでいる人が少ない分、自分がやればやるだけ世の中に成果として出すことができます。新しい構造形式を世の中に打ち出していくという意気込みで研究を行えることが大きなモチベーションになっています」
建築設計というと"意匠デザインする"ことが先にイメージされがちだが、学生たちには構造設計士として活躍してもらいたいという。そこには、「日本で建築に携わる以上、構造的な課題は切っても切り離せない」という鈴木准教授の思いが凝縮されている。
「CES構造は地震大国の日本でこそ使ってもらいたい構造形式です。CES構造で造られた建物の第一号をこの目で見る日を楽しみに待ちながら、今後もCES構造の精度や信頼性をさらに高めるために実験と解析を続けていきます。そして、『耐震工学のことなら鈴木に聞け』と社会から頼られる、この分野の第一人者になることが目標です」
掲載日:2023年10月/取材日:2023年7月
]]> 混合相は、雲の中で雲の頂の温度が0℃以下で、氷の結晶と液体の水滴が同時に存在する現象だ。極寒の北極付近では高度2km以下、時には500m程度の下層で混合相が発生する。雲は一般的に日傘効果と温室効果をもたらすが、北極圏 では温室効果の方が強く働く。年平均60~80%の頻度で発生する混合相の雲は、北極での海氷の形成と深く関わっているのだ。「熱力学的には、この混合相の雲は不安定なはずなのに、時には数日間空に浮かんでいたりします。こうした現象も 含め、雲の発生・成長・降下過程をより正確に再現できる数値モデルを作って、気候や気象の予測に役立てる、いわば気候・気象モデルをブラッシュアップするための基礎研究です」と端野典平准教授は言う。
「雲の研究が気候・気象の予測に重要な理由は、大気中の雲が太陽放射の反射や地球放射の吸収・放出を通じて地表温度や降水量を制御するからです。雲がどのような形態を取るか、どの高さにあるのか、どのくらい長く存在するかなどは、地球のエネルギーバランスに大きな影響を与えます。雲を正確に理解することは、気候や気象の予測にとって不可欠なのです」
気候・気象モデルでは、対象となる空間を格子に区切り、それぞれの格子点において流体の状態を計算していく。気候モデルなら100~200キロ四方、気象モデルでは10~20km四方の格子が用いられる。さらに、LES(Large Eddy Simulation)実験では10m程度の格子を用いて乱流を計算する。端野准教授によれば、「いずれにしても、そこで用いられるのは古典力学である流体力学の方程式です。しかし微粒子の集合とも言える雲の物理過程を再現するには別の物理スキームが必要です」
雲や降水の発生、成長、消滅に関わる微小な粒子(雲粒子や降水粒子)の挙動を表現する場合、微物理スキームと呼ばれる数値モデルが用いられる。端野准教授たちのグループは2007年から新たな雲微物理スキーム「SHIPS(Spectral ice HabIt Prediction System)」を開発してきた。従来よりも高い精度で雲微物理現象を再現できるSHIPSは、高緯度の雲降水現象を中心に、他の研究グループでも利用されはじめている。
「雪は天から送られた手紙である」これは世界で初めて人工雪の製作を成功したことで知られる物理学者、中谷宇吉郎氏の言葉だ。端野准教授は講演などの際、しばしばこの言葉を引用するという。
「雪の結晶(氷粒子)は、その成長過程で経験した気温や水蒸気の量を反映した形状を示します。つまり雪の結晶を観察すれば、空の温度や湿度がわかる。まさに天からの手紙です」端野准教授も、中谷氏とは別の観点から雪(氷の粒子)に込められた「天からのメッセージ」を気象予測の精度の向上に役立てる研究を行ってきた。
「降雨のシミュレーションでは、雨粒はほぼ球状と考えて差し支えありません。しかし雪の場合、そう単純にはいきません。雪(氷粒子)の特徴はその形状と大きさの多様性にあります。氷の結晶は六角形や樹枝状のきれいなものは少数派で、大多数は複雑な形をしています。また、これらがぶつかってできた雪片や雲粒とぶつかってできたあられがあります。当然、落ちる速度も異なります。降雪現象を精度よく予測するためには、様々な氷粒子の特徴を再現する微物理スキームが必要となります」
従来のスキームでは、雲降水の現象によらず氷粒子の形状や大きさはあらかじめ仮定している。端野准教授は粒子の質量を、成長させる要因で分けることで粒子の変化の様子を滑らかに表現できるスキームを開発した。このスキームを用いると板状、針状、樹枝状結晶を気象現象に応じて得られる。このようなアプローチは気象予報の精度の向上につながると考えている。
ここまでに紹介した他にも、端野准教授は雲物理をベースに様々な研究を行っている。たとえばエアロゾルと雲の相互作用。エアロゾルは大気中に浮遊している微小な粒子や液滴だ。端野准教授は北極の混合相の雲を研究する過程でエアロゾルに着目。「浸水凍結(雲水粒子内の固体粒子が凍結を引き起こす)」を用いた再現実験などを行い、凍結過程と形成する氷粒子の関係性の解明を進めてきた。また高知工科大学に赴任してからは、地域貢献の一環として、「雨音」で降水量を推定する雨量計の開発にも携わっている。「中山間地で安全に暮らすためには、山間部の降水分布を正確に観測する必要があります。開発した音響雨量計は、雨音を録音することで、降水量を推定します。最大の売りは、低価格。もちろん構造もシンプルです。将来的にはもう少し推定の精度を高め、リアルタイムでモニタリングできるネットワークを構築できればと思っています」と端野准教授。
「これまでの研究とは、ちょっと毛色が違うけど、相手が雨粒だから、雲物理の範ちゅう、と言えなくもないかなあ」と微笑む。
端野准教授が京都で学生生活を送っていた頃、国際社会による温室効果ガスの排出削減目標を定めた京都議定書が採択された。それが雲物理分野に進むひとつのきっけだったと振り返る。気候変動が危機的状況にある今、そして今後、微小な粒子の側から気候・気象予測の精度向上に貢献する端野准教授の研究の役割は、さらに重要になっていく。
掲載日:2023年7月/取材日:2023年3月
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